7.92x33mm クルツ弾  /  7.9 Infanterie Kurzpatrone

7.92×33 クルツ弾




「既存の小銃用弾薬を短くする」というアイディアは1800年代後半にはすでに存在し、第一次大戦前から各国で開発・試作が行われていたが、軍上層部の理解を得られず、実現には程遠い状況であった。第一次大戦の小銃や機関銃の主力弾薬として使用された7.92×57mm弾は交戦距離1000メートル以上の遠距離でも高い威力を発揮したものの、歩兵用小火器の弾薬としては威力が強すぎる点が指摘されはじめる。1916年には早くも、小銃に必要な有効射程は400メートル程度であり小口径弾薬でその役割は果たせるとの結論がドイツ軍兵器局で出されたが、膨大に生産された7.92×57㎜弾薬や小銃の更新はすでに困難な状況であった。第一次大戦後も7.92×57mm弾は依然として主力であり続けたものの、歩兵の交戦距離は徐々に短くなり(※第二次大戦での平均は400メートル以下)、必要以上に強力すぎる弾薬という問題点がより大きくなってきた。また拳銃や短機関銃用に使用されていた9mmパラべラム弾は有効射程が短く中距離から遠距離目標への威力が不足していた。そのため交戦距離300~400メートルの中射程で有効な新型弾薬の開発が望まれた。

ドイツでは1920年前半から新型弾薬の研究・開発がスタートし複数の弾薬が試作された。この試作メーカーの中に弾薬の製造では大手となるポルテ社(Polte-Werke)があった。1938年にポルテ社で開発された新型弾薬は口径や薬莢形状を7.92×57㎜弾とできる限り共通化することにより、既存弾薬の生産ライン・ゲージなどを一部流用できるよう配慮されていた。この弾薬が性能・生産性共に優れていたことから生産許可が下り、1941年から試験用として少量生産を開始した。この弾薬が7.92×33mmクルツ弾(※クルツ=短い)である。

この時点で7.92×33㎜弾はまだ完成しておらず、少量生産と試験がくり返し実施され、問題個所には改良が加えられた。薬莢はテーパー角度・ボトルネック部の形状・エキストラクターが掛かる底部リム形状などの調整、弾頭は重量・重心位置の変更と後部ボートテール形状の検証、専用装薬の開発や充填量の変更など、改良は多岐にわたる。

7.92×57mm弾と同口径で弾頭の長さは短くなり、薬莢も33mmに短縮、装薬量は2.85gから1.57gとなった。この弾薬は中距離射程において優秀な性能を示し、反動の大きな小銃弾と比較してフルオート射撃においても良好なコントロール性を見せる。既存の弾頭・薬莢と一部のサイズを共通化したことにより、従来の弾薬工場の設備を一部流用できた他に、薬莢の短縮による原料の節約と製造コストの低下、兵士一人あたりの携行弾薬数の増加などさまざまな利点をもたらした。

7.92×33mm弾は主力弾薬であった7.92×57mm弾の生産や部隊配備に悪影響を与える、7.92×57㎜弾よりも威力の劣る弾薬の採用にはそもそも否定的だったとされるヒトラーの判断から実戦配備が中止される危機に陥ったが、試験的に実戦導入されていた前線からは切望する声が多くヒトラーの判断を覆した。主に突撃銃と呼ばれたMP43やMP44・Stg44の弾薬として使用され、1944年1月頃より大々的に生産が開始されたが、生産のピーク時でも7.92×57mm弾の1/4程の生産数にとどまっており、1945年5月までの総生産数は約12億発となっている。

弾種は強装弾、曳光弾、グレネード発射器用空砲弾、空砲弾(木製弾頭)、訓練弾など。

本弾薬は1941年の生産開始以降、正式名称がたびたび変更となっているため以下に記す。

1941年  7.9 Infanterie Kurzpatrone
1942年  Mkb. Patrone S.
1943年  Pistolenpatrone 43 m.E.
1944年  Kurzpatrone 43 m.E.




薬莢は底部とケースマウスの直径は同一だが、薬莢のグルーブ(エキストラクターの爪が掛かる溝)、側面のテーパー角度、ボトルネックなど各部の形状・大きさが変更されている。

薬莢の全長 7.92×57㎜弾:56.9㎜   7.92×33㎜弾:32.9㎜






弾頭は7.92×33mm弾専用のものが使用され、7.92×57mm弾よりも全長が約1cm短縮されている。
7.92×57mmの弾頭(写真左)は全長35.3mm、7.92×33mm弾(写真右)は25.6mm。弾頭は初期の試作を除き鉛の使用量を抑えるため尖頭鉄弾芯(S.m.e.)を採用しており、これが7.92×33㎜の普通弾となっている。

7.92×33㎜弾は弾頭重量が開発中に3度変更されており、発射薬もこれに伴って改良や充填量の調整が行われている。

1940年11月 → 弾頭重量7g(S.m.e.)、装薬量1.24g
1941年前半 → 弾頭重量8g(S.m.e.)、装薬量1.5g
1942年初頭 → 弾頭重量8.1g(S.m.e.)、装薬量1.56g(改良型装薬)

1942年5月以降、新型自動小銃Mkb.42(H)の部隊試験を実施するために早急な弾薬生産が求められたが、改良型装薬の生産が間に合わず、Mkb.42(H)を最初にテストした部隊へ提供された弾薬は重量8.1gの新型弾頭に古い装薬が使われていた。このため、命中精度が不十分という結果が出るなど7.92×33㎜弾の開発は紆余曲折を経ている。

その後、新装薬を使った弾薬でも十分な精度を発揮せず、原因は弾頭にあるとして重心位置の改善が図られた。




1942年12月にポルテ社で作成された弾頭の図面を見ると重心位置の改善方法がわかる。先端まで鉄製弾芯が埋まっていた弾頭は弾芯(灰色)の先端を平らに加工し空間を作り、ここに高比重の鉛(黄色)を充填。弾頭の先端側へ重心位置が移動したため、弾道の安定性が改善した。7.92×33㎜弾の量産品にはこの弾頭(S.m.e.)が採用されている。

1942年後半 → 重心位置を改良した新型弾頭8.1g(S.m.e.)、装薬量1.57g




長さ33mmの薬莢と比較しても弾頭の大きさが目立つ。弾頭重量は8.1g。

7.92×33㎜弾(S.m.e.)の命中精度に関しては1942年2月に陸軍兵器局の弾薬担当部門で決定された仕様があり、

・射距離100m、4つの標的に対して各20発を射撃(使用銃は不明)
・4つ全ての標的で24cm以下に全弾が収まる
・4つの標的の平均が18cm以下に収まる

という条件の達成を求めていることから、以後に生産された弾薬も同等の精度を満たしていると思われる。






1942年以前の初期生産品を除き、7.92×33㎜弾の雷管は水銀不使用で非腐食性となった「Zdh.30/40」が使われている。写真の薬莢は2つのフラッシュホール(0.9㎜径)が加工されているが、後期になると一部のメーカーでは簡略化のため径を大きくした一つ穴に変更される。

1943年から本格的な生産がスタートした7.92×33mmクルツ弾の薬莢はそのほとんどがラッカー系塗料で塗装された鉄製となっている。




7.92×33 クルツ弾 刻印

薬莢底部の刻印。

■製造メーカーコード
「hla」・・・Metallwarenfabrik Treuenbritzen GmbH
「fva」・・・Draht-u. Metallwarenfabrik GmbH

■「11」は生産ロット

■「44」は生産年、1944年製

■「St」はメッキやラッカーコートで仕上げられた鉄製薬莢を示す

雷管周りの青い塗料は鉄芯弾頭であることを表す。




1945年製の鉄製薬莢。「ak」はPatronen-, Zündh.- u. Metallwarenfabrik A.G.。akとStの間にある「-」は雷管用のフラッシュホールが一つ穴であることを示す。




これも1945年製の鉄製薬莢。Waffenw. Brünn が製造したことを示す「dou.」。




7.92×33 クルツ弾



7.92×33 クルツ弾

薬莢底部は7.92×57mm弾と同じ形状であるため5発用クリップがそのまま使用できる。




7.92×33 クルツ弾 比較

当時、ドイツ軍で使用されていた主な弾薬との比較。写真左側から、

■7.92×57mm sS
弾頭重量:12.8g  初速:785m/s  エネルギー:3944J  ※J:ジュール

■7.92×33mmクルツ弾
弾頭重量:8.1g   初速:685m/s  エネルギー:1900J

■9×19mmパラべラム弾
弾頭重量:8g   初速:341m/s  エネルギー:465J




MP44とAK

大戦末期に登場し主力にはならなかった本弾薬であるが、優れた性能と先進性は戦後に開発された小口径・短小弾薬を使用するアサルトライフルの先駆けとなった。誰もがその名を知る有名な銃、ソビエトのミハイル・カラシニコフ氏によって開発されたAK47もその開発コンセプトはクルツ弾を用いたMP44・Stg44を大いに参考にしていると思われる。大戦末期の混乱期において、新たなカテゴリーの弾薬を実戦投入したドイツ軍の先見性は評価に値する。
※写真の銃は上がMP44、下がAKM




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