■MG34 1939~1941年
対空3脚(ドライバイン34)に載せられた初期型のMG34。先端が丸い弾頭形状から木製弾頭付きの空砲弾を射撃しており、射手の奥にも1名が配置され給弾を補助。反動対策として兵士が3脚を押さえている。撮影時期は1939年、ポストカードの使用写真。
削り出しの初期型フィードカバーに穴数の少ない通常型バレルジャケットを持ったMG34。1939年頃。
「MG34のトレーニング」と題された写真。初期型MG34が専用?の木製台に載っており、2名の兵士が機関部を分解している。初期型の特徴であるフロントサイトと消炎器の間に開けられた穴の形が楕円形になっている点も確認できる。1939年。
背中に木製のMG34運搬具を装備した兵士。銃口にはゴム製キャップが付き、スリングは2重になっている。1939年。
海岸に設置されたラフェッテ34を視察中。MGZ34を装備したラフェッテの横には34型弾薬箱が8個以上置かれている。ラフェッテは写真のように前後の脚を大きく開き、できるだけ低姿勢にすることで重心が下がり反動を抑制、命中率の向上が期待できる。1940年4月、デンマーク。
コペンハーゲンにある城塞「カステレット」をドイツ軍が占領、ゲートに配置されたラフェッテ34。ラフェッテを正面から捉えた写真は珍しい。MGZ34を装着し、34型弾薬箱は内部が未塗装なのでアルミ製。1940年4月9日、デンマーク。
1号戦車が路上を進み、随伴する歩兵は側溝に身を隠している。50連ドラムマガジンが装備されたMG34の前部に注目。バレルジャケットを覆う金具がネジ止め?されており、捻じれた突起のようなものが確認できる。これは銃身が過熱した際のバレルジャケット部の持ち手ではないかと推測するが詳細は不明。1940年4月、ノルウェー南部。
ハインツ・グデーリアン将軍が乗る無線装甲車 (Sd.Kfz. 251/3) に装備されたMG34。2脚を収納位置で固定する突起がない。
橋の真ん中に設置されたラフェッテ34。MG34のバレルジャケットは穴数が多い初期型、ラフェッテにはMZG34が付いている。1940年6月、フランス西部戦線。
「グロースドイッチュラント」歩兵連隊の予備大隊が参加した大規模な戦闘演習。木製弾頭の付いた空砲弾を使用。銃口の下にはMGZ34の運搬用コンテナが置かれている。1941年1月。この写真は数か所に修正が加えられている。
ジャーマングレイ塗装と思われる新品のようなラフェッテ34。マニュアルの指示通り、MG34のスリングはグリップ側を外している。双眼鏡を持つ下士官の右手下にはMGZ34の収納コンテナが見える。1941年フランス、演習中の撮影。
「降下猟兵がコリントスを燃やす。落下傘降下は成功。兵士と装備は強固な大地にあり、直ちに戦闘態勢へ移行する。一瞬にして、機関銃が敵に致命的なダメージを与えるだろう。」
伏せ撃ちでMG34を構える降下猟兵。リア・フロントサイトは共に折り畳み状態であり射撃中ではない。カメラマンの「ちょっと撮影するから銃を構えてくれよ」という要望に応じたような雰囲気。手前にはSF14Z(砲隊鏡)の木箱が置かれている。1941年、ギリシャ。
肩にMG34を乗せ、依託射撃を行う武装親衛隊師団「アドルフ・ヒトラー」の兵士。2脚を握る前方の兵士は2本の予備銃身を収納できるケースを背負っているが、この銃身ケースは主に車輌備え付け用。手前の下士官はマガジンハウジングに開いた穴からMP38のようで、即座に射撃できるよう、ボルトは後退位置にある。1941年、ユーゴスラビア。
砂浜が広がる沿岸要塞に設置されたMG34。1941年、フランス大西洋岸。
かなり使い込まれてブルーイング処理が薄くなっているように見えるMG34。50連ドラムマガジンを装着。1941年、ノルウェー。
兵士の肩にMG34を乗せた依託射撃。2脚が使用できず依託する対象物が無い場面において命中率を高める有効な射撃方法となるが、前方に立つ兵士の心的負担は大きい。反動を押さえるため前方の兵士は2脚の両脚を保持している。弾薬は弾頭が黒っぽく、先端が丸みを帯びているので空砲弾(木製弾頭)のようだ。1941年5月、北ポーランド。
中隊で使用する火器が更新された際の撮影写真。12挺のMG34、3挺のPzB39(対戦車ライフル)、3門の5cm leGrW 36(迫撃砲)、6挺のKar98kが写る。MG34は10挺が初期生産型。1941年6月、ポーランド、カレトニク。
50連ドラムマガジンを付けたMG34で射撃中の兵士。フィードカバーは削り出しの初期型に見える。1941年6月。
ドイツ兵の分隊が伏せており、その後方を牛を引き連れた女性が歩いている。1941年6月、ソビエト連邦。
レニングラード近くに設けられた歩兵陣地。使い込まれたMG34が置かれ、後方では3人の兵士がKar98kの手入れを行っている。1941年8月~9月、ソビエト連邦。
50連ベルトリンクとドラムマガジンをそれぞれ装着したMG34。どちらのMG34も安全装置は「S」(sicher 安全)の位置にある。1941年9月、ソビエト連邦北部。
ドエニプル川を渡り、湿地帯にラフェッテ34を配置する兵士。弾帯の下方にある長方形の箱が予備ボルト収納ケース。1940年後半以降に生産されたラフェッテに取り付けられている。1941年9月2日、ソビエト連邦。
ロシアとウクライナを流れるプショール川の鉄橋を制圧後、展開するラフェッテ34。1941年9月2日、ソビエト連邦。
塹壕の端に設けられたMG34。初期生産型のMG34で、数発おきに曳光弾(弾頭先端部が黒い)が混じっているようだ。リアサイトの位置から射撃距離は1,000m程度と推測できる。予備ボルトケースが無いため、1940年後半以前に生産されたラフェッテ34であることが推測できる。1941年10月~11月、ソビエト連邦。
肩への依託でMG34を射撃するグロースドイッチュラント歩兵連隊の擲弾兵。銃のスリングを保持して反動を押さえており、予備の50連ドラムマガジンからはスタータータブが出ている。1941年11月、ソビエト連邦。
地平線を望む丘に設置されたラフェッテ34。リアサイトの位置から2,000mの遠方を射撃中。1941年11月、ソビエト連邦、ドミトリフカの東85キロ。
前脚を大きく前に出した変型姿勢のラフェッテ34。撮影日時が不明の写真だが、ラフェッテに予備ボルトケースが装備されていることから、1941年以降だと思われる。すでに50発以上を射撃しているようで、地面には空の50連ベルトリンクが落ちている。