■MG42 1944~1945年





運搬用ベルトで2つの弾薬箱を携行(300発満載なら2つで20㎏以上)し50連弾帯と射撃後に回収したものか空のベルトリンクも数本確認できる。後方では建物が燃えている。1944年8月、ポーランド、ワルシャワ、ワルシャワ蜂起。










瓦礫で構築したバリケードに配置されたラフェッテ42。射撃中のように見えるがラフェッテ42の場合、MG42の2脚が折り畳まれた写真の状態では射撃ができないため、カメラマンの要求に応じてポーズを取っただけのようだ。「NC MG42 1692 j cra」の刻印から1944年になってからマゲット社で101,692挺目に生産されたMG42であることが確認できる。マゲット社は最も多くのMG42を生産しており製造数は16万5千挺。

ラフェッテは通常型よりも複雑な脚の角度・長さ調整が可能な機構を有した山岳用と呼ばれる珍しいタイプ。ダークイエローに塗装され、MGZ(光学照準器)の取り付けベースはプレス製の後期型(初期はアルミ削り出し)。1944年8月、ポーランド、ワルシャワ蜂起。




重装備で整列するアゼルバイジャン野戦大隊の兵士。少なくとも4挺のMG42と多数の弾帯・50連ドラムマガジンが確認できる。1944年8~9月、ポーランド、ワルシャワ、ワルシャワ蜂起。






こちらもアゼルバイジャン野戦大隊の兵士と思われる写真。MG用予備銃身ケースを背負う兵士の弾帯は1発がベルトリンクの所定位置からズレており、このまま使用すると給弾不良を引き起こす。1944年8~9月、ポーランド、ワルシャワ、ワルシャワ蜂起。






装甲兵員輸送車(Sd.Kfz. 250/1)に搭載された初期型MG42。防盾とMG42の位置関係から2脚は折り畳むことができないため外されている様子。1944年9月、オランダ、アーネムの戦い。






金属線でストック基部が補強された後期型MG42。1944年10月、ハンガリー、ブダペスト、パンツァーファウスト作戦。










対空射撃用3脚(ドライバイン34)にMG42を載せた教育用写真。この3脚は脚の角度調整範囲が広いため低い姿勢の機関銃架としても活用できる。大きな射撃の反動を押さえて命中率向上を図るため兵士が3脚を押さえている。50連ドラムマガジンを装着したMG42はスリング前方の取り付け位置が通常よりも後ろ寄り。木製ストックは基部に金属線補強のある後期型。写真の解像度が高いため機関部の刻印が読める。MG42の製造年コードは1944年を示す「NC」、製造メーカーコードはマゲット社を示す「cra」。写真の撮影時期は不明だが銃の刻印から1944年以降。








兵士の肩にMG42を委託する射撃方法を示す教育用写真。機関部後部の刻印がより鮮明に確認できる。前方の兵士が反動抑制のために保持する2脚の脚部品はMG42専用。これ以前の掲載写真はすべてMG34部品を流用した2脚しか確認できず、専用部品への切り替えにはかなりの時間を要している。






こちらも同時に撮影された教育用写真。スリング前側が正しい位置に取り付けられている。1944年以降。






魚雷障壁と沈没船があるリグーリア海岸の港。ラフェッテに初期型のMG42が載っているが、2脚が収納位置では射撃ができない(2脚と銃架が干渉する)。光学照準器、MGZ40は接眼レンズが射撃方向に対して90度真横を向いている珍しい写真。1944年、イタリア。










市街地のレンガ積み陣地に隠れ、射撃する兵士。手前の兵士が持つG.43は木製ストックの色が明るい。奥ではMG42のコッキングハンドルに手をかけ装填中の兵士が二人。写真は人物に動きがあり、末期や緊迫した雰囲気が感じられるものの、MG42の兵士は笑顔に見える。1944年8~9月、ポーランド、ワルシャワ蜂起。




MG42が乗るラフェッテ42は山岳用。折り畳まれた後脚パイプに長さ調整金具が確認でき、地面との接地部はノコギリ刃のようなギザギザ加工が施されている。光学照準器はMGZ34。1944年、クールラント。






グロースドイッチュラント師団の上級軍曹からラフェッテ42の取り扱いを学ぶ国民突撃隊。ラフェッテは光学照準器も含めてダークイエローで塗装されており、写真左には「MGZ.40」と表記された光学照準器の収納ケースが置かれている。1944年10月。








グロースドイッチュラント師団の上級軍曹(1項目上の写真、ラフェッテ訓練の教官と同じ人物?)が国民突撃隊にMG42の取り扱い方法を訓練している。1944年11月。






擬装を施した兵士が装甲兵員輸送車 (Sd.Kfz. 250 / Sd.Kfz. 251)に乗り、アルデンヌ攻勢への出撃命令を待っている。このMG42も2脚が外されている。 1944年末、ベルギー・ルクセンブルク。




ツェルトバーンの上に置かれ、発射準備が完了したMG42。スチール製薬莢とベルトリンクは補強リブが無い初期型。1945年。










ポーランドと国境を接するオーデル川のほとりで防衛任務に就く国民突撃隊。MG42やパンツァーファウスト(60または100型)の他に、珍しいグストロフ社の国民突撃銃(Volkssturmgewehr)も装備されている。1945年2月15日、ドイツ、フランクフルト。




元の写真タイトルには「セルカール道路では一時的な包囲にもかかわらず、近づいてくるイギリス軍が降下猟兵の機関銃陣地を打ち負かすことができなかった。」とある。ダークイエロー塗装のラフェッテ42には2つの41型弾薬箱がぶら下がっており、MGZ40も装着。MG42の2脚は基部を残して脱落しており、銃のリアサイトは最大調整距離の2,000mあたりにセットされている。1945年3月3日、ドイツ、クレーヴェ。




もどる