■MG34 1942年 その1






雪中、ラフェッテ34に搭載されたMG34。1942年初頭、ソビエト連邦。




ラフェッテ34に装着されたMGZ34(光学照準器)は対物レンズのアイピースが外れている。1942年初頭、ソビエト連邦。




東部戦線で展開するサイドカー。MG34はサイドカー専用の銃架を使わず、そのまま載せている。側車に乗る兵士は襟章から空軍所属のようだ。1942年初頭。






MG34の射撃訓練を行うヘルマン・ゲーリング装甲師団の兵士。迅速に対応できるよう予備銃身ケースを横に置き、弾薬が地面に付かぬよう34型弾薬箱のフタをMG34側に置きトレーとして使っている。1942年初頭、東部戦線。






写真キャプション「ボルシェビキの狙撃兵が森の中に拠点を構え、常に事態を混乱させようとしている。塹壕に配置された機関銃が彼らを追い払う。卵型手榴弾も隣に置かれ準備ができている。PK記録:従軍記者 Knödler」

印刷物に掲載するためか、写真の周囲にトリミング位置を示すような印が書き込まれている。MG34も若干の修正が加わっているようだ。M39卵型手榴弾には初期型の信管が装着されている。1942年3月17日、ソビエト連邦。




MG34を構えるアゾフ海のドイツ警備隊。1942年4月。






写真キャプション「森の中にあるソ連の拠点を襲撃。ついにその時が来た。兵士たちはゆっくりと慎重に、雪に覆われた森林地帯を進んでいく。PK写真:従軍記者 Rutkowski 1942年4月」

やや不鮮明な写真だがMG34の2脚には使用時、雪中で埋まらないようにする板が装備されている。ソビエト連邦。




擬装したシェルターの横でMG34を構えるドイツ空軍の兵士と空軍中尉。1942年4月頃。






波しぶきを上げながらボートで川を渡る兵士。船首に50連ドラムマガジンを付けたMG34が設置されている。1942年春から夏。ソ連北部。




写真キャプション「低空飛行する英国機に対する防御のため、英仏海峡沿岸には連装機銃が配備されている。トミーは何度も攻撃を繰り返すが、そのたびに頭を血まみれにして撤退、航空機の大損害を被っている。PK写真:従軍記者 Müller 1942年5月21日」

海岸線を一望できる高台に塹壕を掘り、2挺のMG34が空を監視する。




写真キャプション「突撃部隊の男。第一の目標は達成された。これでタバコの味が2倍になる。PK記録:従軍記者 Koch」

50連ドラムマガジンを付けたMG34を担ぎ、タバコを吸うドイツ兵。1942年6月5日、ソビエト連邦。






装甲兵員輸送車に装備されたMG34。バレルジャケットに擬装の草が付いており、弾薬は曳光弾が混じっている。1942年6月、ソビエト連邦ボロネッシュ近郊。






写真キャプション「イルメン湖南東の湿地帯の森で。湿地帯の森の小さな島々で応急の火点を設け兵士が座っている。湿地帯なので強度のある火点は造れない。湿気に加え、蚊にも悩まされており、ヘルメットを覆うベールでは蚊を防ぐことはできない。PK写真:従軍特派員 Etzold 1942年6月17日」

丸太を使った陣地にMG34を据え付け、ヘルメットを外した兵士は蚊よけのネットで頭を覆っている。MG34は後部に2脚を装備して広い射角を確保している。




「敵の航空機は雲に隠れながら接近することを好む。夏の空に急に雲が現れた場合、対空防御を担う機関銃陣地は警戒レベルを高める必要がある。」とのキャプションがある写真。対空射撃の準備が整ったMG34は給弾手の補助なしで円滑な射撃が行えるよう50連ベルトリンクが1本のみ装填(2本以上は給弾手の補助がないと給弾不良を引き起こす)されており、対空3脚(ドライバイン34)には弾薬箱、ガスマスクケース、予備銃身ケースなどがぶら下がっている。1942年7月5日。






3号戦車の横でベルトリンクへ弾薬をセットする戦車兵。汚れの付着を防ぐ布を敷き、写真左には150発を収納する車載用の布製弾薬袋、椅子代わりのジェリカン横には7.92×57mm弾を300発収納する紙箱が転がっている。1942年夏、ソビエト連邦南部。






MGワーゲンが軽車輌に牽引され、連装銃架には大型のスパイダーサイトを装備。写真のキャプションは「燃える村と破壊された家屋はドン地域で敗北した敵の撤退を示している」。1942年7月18日。






下士官に続き塹壕を飛び越える機関銃手。穴数の多いバレルジャケットに削り出しフィードカバーの付いた初期のMG34。1942年夏、ソビエト連邦南部。






ヴォルガ川に到達。スターリングラード北、北ウラジミロフカ近く、ヴォルガ川沿いを確保した第16装甲師団。川を一望できる高台に蛸壺を掘りMG34を配置している。1942年8月23日、ソビエト連邦。






写真キャプション「オリョール地区の前線中央部で反撃に成功した。現在、重機関銃が敵の動きを監視している。」

傾斜地に設置された高姿勢状態のラフェッテ。射手は予備銃身ケースを背負っている。
1942年8月、ソビエト連邦。






後脚を折り畳んだ低姿勢状態のラフェッテで射撃を行う兵士。1942年夏、ソ連南部。






スターリングラード郊外の塹壕にいる偵察部隊?のドイツ兵。MG34は消炎器とリコイルブースターが外れているように見える。1942年夏、ソ連南部。






伏せた状態で移動のタイミングを伺ってるMG34機関銃手。トリガー後方には極初期型のみに採用された発射速度調整装置のボタンがあるため、初期型の余剰部品を流用しているようだ。ベルトリンクの弾薬は全て曳光弾(弾頭先端が黒い)。1942年夏、ソビエト連邦スターリングラード。






初期型MG34を持つ機関銃手。ベルトリンクには数発おきに曳光弾が混じっている。1942年8月ジュビリー作戦、フランス、ディエップ。




土嚢が積み上げられた陣地で監視にあたる兵士。対空3脚は反動抑制のおもりとしてドラムマガジンコンテナが脚のフックに引っ掛けてある。1942年8月、ベルギー、ブランケンベルヘ。大西洋の壁。




こちらのMG34には大型のスパイダーサイトが装備されている。1942年8月、ベルギー、ブランケンベルヘ。大西洋の壁。






海に向かって設けられた火点のラフェッテ34。ラフェッテは専用の木製台座に載っている。1942年8月、ベルギー、ブランケンベルヘ。大西洋の壁。






海軍の沿岸砲兵、対空射撃訓練中の兵士。スパイダーサイトを装着したMG34はMG13用に似た形状の対空3脚に載っており、給弾手が持つ弾帯は5発おきに曳光弾が混ざっている。1942年頃、フランス、大西洋の壁。




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