■MG34 1943~1945年




マーダーIIの戦闘室から2つの2脚が付いたMG34で射撃中。1943年3月、ソビエト連邦。










無線装甲車(Sd.Kfz.250/3)に装備されたMG34。50連ドラムマガジンが装着され、スタータータブが見えるので弾薬が装填されているようだが、フィードカバーのベルトリンク送り部の部品が左右反対になっているという致命的な組み立てミスをしている。これでは初弾射撃後、ベルトリンクが引き込めないので2発目が撃てない。ベルトリンク送り部は右側給弾にも対応するため、反対向きにも組み立てられるように設計されているが、使用者が無知であるとこのような問題を引き起こす。

中央に写る人物はヴァルター・フォン・ヒューナースドルフ大佐。1943年夏、ソビエト連邦。




中央ロシアに展開する武装親衛隊旅団、シーマナ(Walter Schimana)少将の戦闘グループ。対空射撃姿勢となったラフェッテ34を貨車の上で構え、反動対策として34型弾薬箱を2つ、重しとしてぶら下げている。1943年夏、ソビエト連邦。






丘の上に配置されたラフェッテ34の照準器(MZG34)を覗く降下猟兵。本来は無塗装仕上げの照準器ベースなどに塗料がかかっているため、このラフェッテは再塗装されている。1943年8月、イタリア、シチリア、アチレアーレ。






木製ストック、穴数の多い初期型バレルジャケットを持ったMG34を3号突撃砲のMGシールドに装着中。広い射角を得られる対空射撃用としてシールド上部にもMG34を装着できる。写真後方には7.92×57mm弾を1,500発収納する木製弾薬箱が見える。弾薬製造メーカーから出荷される際に使用されるこの木箱(使用後は再利用する)は防水機能を備えているため、日用品や食料などの保管箱としても幅広く利用されている。1943年8月、イタリア、シチリア、アレチアーレ。




壁を遮蔽物にして機関銃を射撃する降下猟兵。手前の射手は初期型バレルジャケットを持ったMG34、後方はMG42を持っている。1943年9月12日、イタリア、バルレッタ。






ヘルメットにサングラスを装備した降下猟兵が連装対空射撃用銃架(Zwillingssockel 36)を水平位置で構えており、中央の照準器は折り畳まれている。ラフェッテ34と同様にワンタッチで銃身交換作業が行えるレバーが薬室左横に見える。1943年9月、イタリア。






ラフェッテ34の射撃訓練を受ける武装親衛隊のウクライナ兵。外したMG34のバットストックは後脚の受け金具に差し込まれている。後方には34型弾薬箱やMGZ(光学照準器)収納ケース、ガンナーズツールポーチなどが並んでいる。1943年8月中旬、ポーランド、ハイデラーゲルSS訓練場。






降下猟兵が乗るBMW・R75サイドカーの側車に搭載されたMG34。1943年、イタリア。




2挺のMG34が装備された連装対空射撃用銃架。1943年、フランス沿岸警備隊。兵士の肩に見えるのは双眼鏡の接眼レンズカバーと思われる。




大型スパイダーサイトが装備された連装対空射撃用銃架。左右に配置された専用の金属製弾薬箱には150発が収まる。1943年春、北フランス/ベルギー。




ラフェッテ34で射撃訓練を行う兵士。1943年、フランス。撮影時期や撮影者は一つ上の写真と同じ。






塹壕内の円形台座に設置されたラフェッテ34。弾薬箱はジャーマングレイに塗装された41型が使われている。1943年、中央ソビエト連邦。




雪原に置かれたラフェッテ34。白の防寒着を着た兵士は鹵獲したソビエト軍の半自動小銃「SVT-40」を持っている。1943年、ソビエト連邦。




ラフェッテにMG34を載せた場合、不要な突起物となるバットストックが外されている。弾薬箱は内部が未塗装のためアルミ製。手前に置かれたMP40はマガジンハウジングにプレスのリブが無い初期型、マガジンもリブが無い初期型に見える。1943年、ノルウェー/フィンランド。




第二次大戦中、ドイツ軍がノルウェーに建設した沿岸砲台ヴァラ(MKB 6/502 Vara)の内部に設置されたMG34。Schartenlafette 08 mit Gewehrträger 34という要塞専用の機関銃マウントに載っており、マウント後部には光学照準器(MGZ)の取り付けベースが設けられている。1943年。






MG34を配置し、食事をとる兵士。1943年6~7月、ソビエト連邦中部/南部。




武装親衛隊の兵士がラフェッテ34で射撃、奥の下士官が双眼鏡で周囲を確認している。後脚の受け金具には34型弾薬箱を掛けている。1943年7月~8月、ソビエト連邦。






車載型MG34が搭載された無線装甲車(Sd.Kfz.250/3) 。フロントサイト/2脚取り付けアダプターは装着されている。1943年8~9月、ソビエト連邦、ドネツ盆地。




射撃するMG34の下には多くの薬莢が散乱。ラフェッテ前脚の背負いパッドは下側が紛失、手前には予備銃身ケースが置かれている。1943年1~2月、ソビエト連邦。




要塞の前で装備品の清掃を行う兵士。手前にラフェッテ34、椅子の上にMGZ(光学照準器)の収納ケース、机の上に分解したMG34、一番奥の兵士はKar98kを持っている。1943年4月、北フランス/ベルギー、大西洋の壁。




ラフェッテ34は明るいダークイエロー系で塗装されており、背当てパッドの下側が後期型の形状(背中にフィットするように折り曲がっている)になっている。1943年夏、北フランス、大西洋の壁。




ダークイエロー系で塗装された連装対空射撃用銃架。片側の弾薬箱はセットされていない。1943年10月~11月、北フランスの沿岸。






マーダーIIの戦闘室上部に設置されたMG34。50連ドラムマガジンを付け中央の2脚を使い車体に固定しているようだ。7.5cm対戦車砲の砲尾上部にも2挺のMP40がV字型に取り付けてある。1943年、イタリア。




ラフェッテ34で射撃を行う降下猟兵。6発ごとに曳光弾がセットされている。1943年、イタリア。






第6降下猟兵師団所属の兵士が持つMG34はベークライト製バットストックの上部が割れて破損しており、グリップ部は発射速度調整ボタンの付いた極初期型パーツが使われている。MG34に装填された弾帯は通常弾+曳光弾となっているが、写真右の弾帯は先端部以外が黒い弾頭となっている。これは弾頭内部に炸薬を持つ炸裂弾(B.-Patrone/Beobachtungspatrone)であり、着弾時に炸薬が破裂すると白い煙を出し着弾場所の確認が容易となることから観測弾としても使用されている。1943年9月9日、イタリア、ローマ郊外、モンテロトンド。




ベルトリンクにセットされた弾薬を確認する兵士。ベルトリンクへのセットミスが致命的な結果を引き起こすため確認は念入りに行う。1943年頃、南フランス。






2脚が無いMG34と弾帯を持った降下猟兵。弾薬は6発ごとに曳光弾がセットされている。1943年、ソビエト連邦。






パンを食べる降下猟兵。5発おきに曳光弾がセットされ、通常弾はスチール製薬莢、曳光弾は真鍮製薬莢のように見える。1943年、北イタリア。




ラフェッテ34で射撃する武装親衛隊の兵士。1943年9月、ソビエト連邦。




沿岸地区で対空防衛任務に当たるドイツ空軍兵士。トラックなどの軽車輌で使用するMG用銃架(Fliegerdrehstütze 36)の支柱を一番高い位置にセットして使用している。1943年秋、ノルウェー。






ルーマニアの将校に対して装甲兵員輸送車に装備されたMG34でデモンストレーションを行う兵士。1944年夏、ソビエト連邦/ルーマニア。






大西洋岸に設けられた蛸壺壕でMG34の射撃訓練を受ける自由インド兵団の兵士。MG34は中央と後部の2か所で固定されているため、射角調整ができないようにも見える。1944年春、フランス、ボルドー近郊。




MG34の横で双眼鏡を覗く兵士。手前には弾薬箱、ヘルメット、50連ドラムマガジン、予備銃身ケースが、後方にはMG08が見える。1944年1月~2月、ソビエト連邦。




MGZ34を覗きながら射撃を行う。1944年5月~6月、ソビエト連邦ヴィテブスク近郊。




対空射撃用支柱を取り付けたラフェッテ34。ラフェッテ本体はジャーマングレイのようだが支柱はダークイエロー系の明るい色で塗装されている。MG34も対空射撃用スパイダーサイトが付いており、リアサイトの対空射撃用照尺もセットされている。このまま射撃すると長く垂れ下がったベルトリンクが引き込めず作動不良を起こすため、給弾手が必要。1944年5月~6月、ソビエト連邦ヴィテブスク近郊。一つ上の掲載写真と撮影者が同じ。




背の高い草むらに配置されたMG34。ゴム製の銃口カバーが付いている。1944年、フランス、ブレ近郊。






パンサー戦車のエンジンデッキに乗る機関銃手。ダークイエローで塗装された34型弾薬箱が3つとラフェッテ34、奥にはより暗い色に見えるラフェッテ34がもう一つ確認できる。1944年、北フランス。




地面すれすれの高さに設置したラフェッテ34から射撃を行う兵士。ラフェッテはダークイエローで塗装され予備ボルトケースは未装着。1944年夏、ソビエト連邦。




ヘルメットを草で擬装した兵士がMG34を構え、後方には自転車が倒れている。1944年、フランス。




戦闘の合間に弾薬の清掃を行う武装親衛隊の兵士。1944年7月、ナルヴァ橋頭堡の戦い。






大戦末期のドイツを象徴する有名な写真。ヨーゼフ・ゲッベルスが閲兵のもと、実施された国民突撃隊の行進。銃よりもパンツァーファウストが目立つ写真だが、手前に2挺のMG34が写っている。使用感の少ない綺麗なMG34はゴム製の銃口カバーが装着されているが、フィードカバーのベルトリンク送り部が逆向きになっており、組み立て方が間違っている。また、鉄製薬莢の50連弾帯は5発ごとに1発の曳光弾がセットされている。1944年11月12日、ドイツ、ベルリン。



同じ写真の右端に写る車載型のMG34。バレルジャケット中間の対空サイトアダプターは未装着。車載型MG34には2脚を収納位置で固定する金具が無いため、布のようなものを巻きつけて2脚を固定している。




MG34を射撃する国民突撃隊。ダークイエローに塗装された41型弾薬箱を使っており、射撃中の弾薬はスチール製薬莢だが、弾薬箱内部の弾薬は真鍮製薬莢に見える。1945年2月、ポーランド南西部、シレジア。






チェコのスチール製ヘルメットを装備した国民突撃隊が車載型MG34で射撃。フロントサイトアダプターは付いているが、2脚と対空サイトアダプターは未装着。1945年4月初旬、ポーランド南西部、シレジア。




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