■MG34 1943年


射撃するMG34の下には多くの薬莢が散乱。ラフェッテ前脚の背負いパッドは下側が紛失、手前には予備銃身ケースが置かれている。1943年1~2月、ソビエト連邦。






ヨーゼフ・ディートリヒとクルト・マイヤーが乗車する装甲兵員輸送車の後部にはMG34用のサドルドラムマガジン(Patronentrommel 34)が装着されている。構造が複雑、装弾に手間と時間を要する、専用のフィードカバーが必要などの欠点があり、50連ドラムマガジン採用以降は使用例が極端に少ない。1943年2~3月、ソビエト連邦、ハリコフ。






マーダーIIの戦闘室から2つの2脚が付いたMG34で射撃中。1943年3月、ソビエト連邦。




大型スパイダーサイトが装備された連装対空射撃用銃架。左右に配置された専用の金属製弾薬箱には150発が収まる。1943年春、北フランス/ベルギー。




MG34やラフェッテを携え疲労した様子で撤退する武装親衛隊の隊員。1943年春、中央ソビエト連邦。




要塞の前で装備品の清掃を行う兵士。手前にラフェッテ34、椅子の上にMGZ(光学照準器)の収納ケース、机の上に分解したMG34、一番奥の兵士はKar98kを持っている。1943年4月、北フランス/ベルギー、大西洋の壁。






MG34を配置し、食事をとる兵士。1943年6~7月、ソビエト連邦中部/南部。




写真キャプション「大規模な英米軍による猛攻撃は、シチリア島に展開した我が部隊の断固たる抵抗により何度も失敗に終わり、別の攻撃も敗北した。しかし敵の新たな進撃に備え監視体制は常に強化されている。」

草によりほぼ完全に擬装されたラフェッテ34。敵からの発見は困難だと思われるが、光学照準器(MGZ34)の取り付け位置が高いため、射手の頭は露出してしまう。1943年7月、シチリア島。




武装親衛隊の兵士がラフェッテ34で射撃、奥の下士官が双眼鏡で周囲を確認している。後脚の受け金具には34型弾薬箱を掛けている。1943年7月~8月、ソビエト連邦。










無線装甲車(Sd.Kfz.250/3)に装備されたMG34。50連ドラムマガジンが装着され、スタータータブが見えるので弾薬が装填されているようだが、フィードカバーのベルトリンク送り部の部品が左右反対になっているという致命的な組み立てミスをしている。これでは初弾射撃後、ベルトリンクが引き込めないので2発目が撃てない。ベルトリンク送り部は右側給弾にも対応するため、反対向きにも組み立てられるように設計されているが、使用者が無知であるとこのような問題を引き起こす。この問題は頻発したようで、MG34の教育用スライド資料でも紹介され注意喚起を促している。

中央に写る人物はヴァルター・フォン・ヒューナースドルフ大佐。1943年夏、ソビエト連邦。




中央ロシアに展開する武装親衛隊旅団、シーマナ(Walter Schimana)少将の戦闘グループ。対空射撃姿勢となったラフェッテ34を貨車の上で構え、反動対策として34型弾薬箱を2つ、重しとしてぶら下げている。1943年夏、ソビエト連邦。




ラフェッテ34は明るいダークイエロー系で塗装されており、背当てパッドの下側が後期型の形状(背中にフィットするように折り曲がっている)になっている。1943年夏、北フランス、大西洋の壁。










丘の上で重機関銃を構える降下猟兵。本来は無塗装仕上げのアルミ製照準器ベースなどに塗料がかかっているため、このラフェッテは再塗装されている。1943年8月、イタリア、シチリア、アチレアーレ。






木製ストック、穴数の多い初期型バレルジャケットを持ったMG34を3号突撃砲のMGシールドに装着中。広い射角を得られる対空射撃用としてシールド上部にもMG34を装着できる。写真後方には7.92×57mm弾を1,500発収納する木製弾薬箱が見える。弾薬製造メーカーから出荷される際に使用されるこの木箱(使用後は再利用する)は防水機能を備えているため、日用品や食料などの保管箱としても幅広く利用されている。1943年8月、イタリア、シチリア、アレチアーレ。








ラフェッテ34の射撃訓練を受ける武装親衛隊のウクライナ兵(ガリシア師団)。外したMG34のバットストックは後脚の受け金具に差し込まれている。後方には34型弾薬箱やMGZ(光学照準器)収納ケース、ガンナーズツールポーチなどが並んでいる。1943年8月中旬、ポーランド、ハイデラーゲルSS訓練場。






車載型MG34が搭載された無線装甲車(Sd.Kfz.250/3) 。フロントサイト/2脚取り付けアダプターは装着されている。1943年8~9月、ソビエト連邦、ドネツ盆地。






第6降下猟兵師団所属の兵士が持つMG34はベークライト製バットストックの上部が割れて破損しており、グリップ部は発射速度調整ボタンの付いた極初期型パーツが使われている。MG34に装填された弾帯は通常弾+曳光弾となっているが、写真右の弾帯は先端部以外が黒い弾頭となっている。これは弾頭内部に炸薬を持つ炸裂弾(B.-Patrone/Beobachtungspatrone)であり、着弾時に炸薬が破裂すると白い煙を出し着弾場所の確認が容易となることから観測弾としても使用されている。1943年9月9日、イタリア、ローマ郊外、モンテロトンド。




壁を遮蔽物にして機関銃を射撃する降下猟兵。手前の射手は初期型バレルジャケットを持ったMG34、後方はMG42を持っている。1943年9月12日、イタリア、バルレッタ。






ヘルメットにサングラスを装備した降下猟兵が連装対空射撃用銃架(Zwillingssockel 36)を水平位置で構えており、中央の照準器は折り畳まれている。ラフェッテ34と同様にワンタッチで銃身交換作業が行えるレバーが薬室左横に見える。1943年9月、イタリア。






市街地でMG34を構える第6降下猟兵師団の兵士。射撃で過熱するバレルジャケットを避け、2脚を持っている。銃本体と弾薬で13kgを超えるMG34を水平位置で保持し続けるのは想像以上に難しく、少なくとも現代人の一般的な体力ではごく短時間しか保持できない。写真右の兵士はシースベッヒャー2型付きのKar98kを所持。後方の輸送トラックは同じパターンが並ぶ珍しい迷彩塗装が施されている。1943年9月9日、イタリア、ローマ近郊、モンテロトンド。




ラフェッテ34で射撃する武装親衛隊の兵士。1943年9月、ソビエト連邦。




塹壕のラフェッテ34で射撃する兵士。展開されたラフェッテ後脚の先端は地面に接地しておらず変則的な状態で置かれている。手前にはフタが少し開いた(装填作業を迅速に行うため?)34型弾薬箱が2つと予備銃身が見える。1943年9月、ソビエト連邦北部。






斜面を利用した陣地にMG34を置き、前方監視と食事をとる二人の武装親衛隊兵士。1943年9月、ソビエト連邦。




プロゼチュニッツ親衛隊装甲擲弾兵学校でMG34の訓練を受ける親衛隊ガリシア師団のロシア/ウクライナ人志願兵。1943年9~10月、チェコスロバキア、レシャン。




沿岸地区で対空防衛任務に当たるドイツ空軍兵士。トラックなどの軽車輌で使用するMG用銃架(Fliegerdrehstütze 36)の支柱を一番高い位置にセットして使用している。1943年秋、ノルウェー。




放熱穴の数が多い初期型バレルジャケットを持つMG34の右側には空のベルトリンクが溜まっており、100発以上は射撃している様子。写真左下に信号拳銃、右には信号拳銃用弾薬が確認できる。1943年秋、ソビエト連邦中央。




ダークイエロー系で塗装された連装対空射撃用銃架。片側の弾薬箱はセットされていない。1943年10月~11月、北フランスの沿岸。






降下猟兵が乗るBMW・R75サイドカーの側車に搭載されたMG34。1943年、イタリア。




2挺のMG34が装備された連装対空射撃用銃架。1943年、フランス沿岸警備隊。兵士の肩に見えるのは双眼鏡の接眼レンズカバーと思われる。




ラフェッテ34で射撃訓練を行う兵士。1943年、フランス。撮影時期や撮影者は一つ上の写真と同じ。






塹壕内の円形台座に設置されたラフェッテ34。弾薬箱はジャーマングレイに塗装された41型が使われている。1943年、中央ソビエト連邦。




海岸の蛸壺壕で警備にあたる兵士。MG34の2脚は中央位置に装着されている。1943年、バルカン半島、ギリシャ。




塹壕からMG34を射撃する兵士。M24柄付手榴弾は底面キャプが外されて信管を作動させる紐が出ている。1943年、中央ソビエト連邦。




「ソビエト、イギリス、アメリカの同盟国万歳」と書かれた建物の前をドイツ兵が通過する。2脚を持ち肩に乗せる運搬スタイルはMG34を保持しやすい。1943年、バルカン半島、ユーゴスラビア。




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