■MG42 1944~1945年




広大な畑(アスパラガス)の中に配置された対空射撃用3脚(ドライバイン34)とMG42。兵士は上空を気にしている雰囲気を出しており対空用リアサイトは立ててあるが、スパイダーサイトは未装着。2脚は銃架と干渉するため折り畳み位置にはできず、銃から外されている例も多い。畑の中に一定間隔で不自然に立つ棒は空からの着陸を防ぐための杭。1944年6月、フランス。










塹壕内でラフェッテ42を使う第6降下猟兵師団の兵士。41型弾薬箱のフタを弾薬トレーのように使用している。光学照準器はMGZ40、上部には取り外し可能なコリメーターが付いている。1944年6月、フランス、ノルマンディー、カランタン近郊。






MG42に弾薬を装填する降下猟兵。1944年6月、イタリア、ローマ、ポンテレジーナマルゲリータ。








サン・ピエトロ大聖堂を背景に待機する降下猟兵。橋?の欄干にはパンツァーファウスト30と弾頭が小型のパンツァーファウスト・クラインが立て掛けてある。1944年6月、イタリア、ローマ。






ログハウスを背にMGZ40が付いたラフェッテ42を構える武装親衛隊の兵士。1944年7月。




写真キャプション「デンマーク親衛隊の志願兵が反撃しボルシェビキを撃退。追加部隊の援軍を受け、デンマーク親衛隊志願兵は反撃で勝ち取った塹壕を占領した。敵の大砲はまだ砲撃を続けている。味方の砲撃によって、敵陣には着弾による大量の土が舞っている。」

塹壕から前線の様子をうかがうデンマーク親衛隊志願兵。ダークイエロー系の明るい色で塗装された50連ドラムマガジンがMG42に装着されている。20発/秒の発射速度では2.5秒で撃ち終えてしまうため、MG42での50連ドラムマガジンの使用例は少ない。1944年7月、東部戦線。






写真キャプション「デンマーク親衛隊義勇軍の反撃でボルシェビキを撃退。ソ連はある時点で我々の陣地に進入することに成功した。デンマーク人の親衛隊義勇兵が反撃のために招集。数時間後、命令は遂行され、ボルシェビキは血なまぐさい撃退を受けた。塹壕の中、反撃の準備が進む。」

深く掘られた塹壕内、奥にはMG42を担ぐ兵士と41型弾薬箱も確認できる。1944年7月、東部戦線。






MG42を構える第1降下装甲師団ヘルマン・ゲーリングの兵士。弾薬を含めると14kg近い重量となるMG42を安定して保持するためスリングを首に回し(グリップ側のスリング金具を外す)、射撃中は過熱するバレルジャケットを避けて2脚を持っている。写真では100発ほどの長い弾帯がぶら下がっているが、このままでは給弾不良を引き起こす可能性があり、弾薬が地面を擦っている点も好ましくない。1944年7月、イタリア、ヴァルダルノ。




建物の柱に隠れ、双眼鏡またはカメラを覗く降下猟兵。ダークイエローとジャーマングレイ系と思われる異なる色で塗装された2つの34型弾薬箱、白磨き仕上げのカップ型バットプレートが目立つKar98k、初期型コッキングハンドルを持つMG42などが確認できる。1944年、イタリア。


















現地製作品と思われる銃架を木柱の上に取り付けて応急の機関銃マウントとして使用している。MG42は基部補強のない木製ストックが付いた中期の生産型。機関部に打たれた製造番号(6528a?)はやや不鮮明だが1944年製造を示す製造年コード「DF」とマウザー社生産を示すコード「ar」は読める。弾薬は10発に1発が曳光弾。陣地には手榴弾のほかに、パンツァーファウスト(おそらく60型)も置かれている。1944年、オランダ、アルンハイム。






瓦礫で構築したバリケードに配置されたラフェッテ42。射撃中のように見える写真だがラフェッテ42の場合、MG42の2脚が折り畳まれた写真の状態では射撃ができないため、カメラマンの要求に応じてポーズを取っただけのようだ。ラフェッテはダークイエローに塗装され、MGZ(光学照準器)の取り付けベースはプレス製の後期型(初期はアルミ削り出し)。1944年8月、ポーランド、ワルシャワ蜂起。






装甲兵員輸送車(Sd.Kfz. 250/1)に搭載された初期型MG42。防盾とMG42の位置関係から2脚は折り畳むことができないため外されている様子。1944年9月、オランダ、アーネムの戦い。






金属線でストック基部が補強された後期型MG42。1944年10月、ハンガリー、ブダペスト、パンツァーファウスト作戦。










対空射撃用3脚(ドライバイン34)にMG42を載せた教育用写真。この3脚は脚の角度調整範囲が広いため低い姿勢の機関銃架としても活用できる。大きな射撃の反動を押さえて命中率向上を図るため兵士が3脚を押さえている。50連ドラムマガジンを装着したMG42はスリング前方の取り付け位置が通常よりも後ろ寄り。木製ストックは基部に金属線補強のある後期型。写真の解像度が高いため機関部の刻印が読める。MG42の製造年コードは1944年を示す「NC」、製造メーカーコードはマゲット社を示す「cra」。写真の撮影時期は不明だが銃の刻印から1944年以降。








兵士の肩にMG42を委託する射撃方法を示す教育用写真。機関部後部の刻印がより鮮明に確認できる。前方の兵士が反動抑制のために保持する2脚の脚部品はMG42専用。これ以前の掲載写真はすべてMG34部品を流用した2脚しか確認できず、専用部品への切り替えにはかなりの時間を要している。






こちらも同時に撮影された教育用写真。スリング前側が正しい位置に取り付けられている。1944年以降。






魚雷障壁と沈没船があるリグーリア海岸の港。ラフェッテに初期型のMG42が載っているが、2脚が収納位置では射撃ができない(2脚と銃架が干渉する)。光学照準器、MGZ40は接眼レンズが射撃方向に対して90度真横を向いている珍しい写真。1944年、イタリア。






市街地のレンガ積み陣地に隠れ、射撃する兵士。手前の兵士が持つG.43は木製ストックの色が明るい。奥ではMG42のコッキングハンドルに手をかけ装填中の兵士が二人。写真は人物に動きがあり、末期や緊迫した雰囲気が感じられるものの、MG42の兵士は笑顔に見える。1944年8~9月、ポーランド、ワルシャワ蜂起。




MG42が乗るラフェッテ42は珍しい山岳用。通常型よりも複雑な脚の角度・長さ調整が可能な機構を有している。折り畳まれた後脚パイプにその調整金具が確認でき、地面との接地部はノコギリ刃のようなギザギザ加工が施されている。光学照準器はMGZ34。1944年、クールラント。






グロースドイッチュラント師団の上級軍曹からラフェッテ42の取り扱いを学ぶ国民突撃隊。ラフェッテは光学照準器も含めてダークイエローで塗装されており、写真左には「MGZ.40」と表記された光学照準器の収納ケースが置かれている。1944年10月。








グロースドイッチュラント師団の上級軍曹(1項目上の写真、ラフェッテ訓練の教官と同じ人物?)が国民突撃隊にMG42の取り扱い方法を訓練している。1944年11月。






擬装を施した兵士が装甲兵員輸送車 (Sd.Kfz. 250 / Sd.Kfz. 251)に乗り、アルデンヌ攻勢への出撃命令を待っている。このMG42も2脚が外されている。 1944年末、ベルギー・ルクセンブルク。




ツェルトバーンの上に置かれ、発射準備が完了したMG42。スチール製薬莢とベルトリンクは補強リブが無い初期型。1945年。










ポーランドと国境を接するオーデル川のほとりで防衛任務に就く国民突撃隊。MG42やパンツァーファウスト(60または100型)の他に、珍しいグストロフ社の国民突撃銃(Volkssturmgewehr)も装備されている。1945年2月15日、ドイツ、フランクフルト。




元の写真タイトルには「セルカール道路では一時的な包囲にもかかわらず、近づいてくるイギリス軍が降下猟兵の機関銃陣地を打ち負かすことができなかった。」とある。ダークイエロー塗装のラフェッテ42には2つの41型弾薬箱がぶら下がっており、MGZ40も装着。MG42の2脚は基部を残して脱落しており、銃のリアサイトは最大調整距離の2,000mあたりにセットされている。1945年3月3日、ドイツ、クレーヴェ。




もどる