■パンツァーファウスト 1944・1945年


空軍兵士がそれぞれ2本ずつのパンツァーファウストを持って移動中。4本中少なくとも2本は30型、弾頭だけが色違いも混ざっている。1944年9月、フランス。






パンツァーファウスト作戦で城の警備大隊兵舎の庭にいる親衛隊兵士。地面にはハンガリー軍のものと思われる装備品が散乱している。パンツァーファウスト30 クライン(弾頭ラベル付き)とパンツァーファウスト30を装備している。1944年10月、ハンガリー、ブダペスト。






メーメル橋頭堡のソビエト軍を攻撃するため、パンツァーファウストで武装する兵士。奥の兵士はパンツァーファウスト30、手前のパンツァーファウストは型式が断定できず、リアキャップは紛失している。1944年10月。




ダークグリーンで塗装されたと思われるパンツァーファウスト30。狙いを定め、発射ボタンを押し込む直前。1944年末、ウクライナ。




装甲擲弾兵師団グロースドイッチュラントの志願兵がメーメル橋頭堡の町を奪還するためパンツァーファウストで反撃する。写真左は30型だが右は30型、60型、100型のどれに該当するか判断できない。1944年末。






写真のキャプションには「ドイツとハンガリーの部隊が首都ブダペストの周囲に張り巡らせた強力な布陣の裏側で、何事もなく生活が営まれている。市街地から僅か数キロのところに主戦場があり、そこではボルシェビキたちが血まみれになりながら戦いを続けている。普通に走っているトラムに乗って、セキュリティラインの後方まで行けるというのはこの戦争の歴史の中でも珍しい状態ではないだろうか。パンツァーファウストで武装した擲弾兵が民間人の隣でトラムを待っている。」とある。

パンツァーファウストは弾頭ラベルから60型。ラベルの台紙はダークイエローの本体色に近い明度。肩にはMP40がかけられている。1944年11月、ハンガリー、ブダペスト。






街中で行進を行う国民突撃隊。参加者の多くがダークイエローで塗装されたパンツァーファウスト(60型または100型)を持っており、半数は弾頭ラベルが無い。弾頭基部の固定バンドは黒に見える。1944年11月12日、ベルリン。






雪が積もる塹壕でパンツァーファウスト60または100型を装備する国民突撃隊。発射筒の警告文がはっきりと確認できるため、文字色が従来の赤色ではなく、より暗い色の可能性がある。1945年1月、東部戦線、ケーニヒスベルク近郊。




弾頭にラベルが貼られたパンツァーファウスト30で武装する兵士。写真右の折り畳まれた照準器をよく見ると、3か所に穴が確認できる。初期型は射距離30mの照準穴のみであったが後期型になると20m、30m、40mの3段階で照準ができるよう3つの穴が設けられる。1945年2月、ドイツ東部国境の前線。






町を見下ろせる高台で警戒任務に就く国民突撃隊。パンツァーファウストは弾頭ラベルから60型。弾頭はダークイエロー、発射筒はおそらくダークグリーンで警告文なし、照準器と発射レバーも弾頭とは異なる色(ライトグレイ系との情報あり)に見える。パンツァーファウストは弾頭、筒、照準器/発射レバーがそれぞれ異なる場所で生産されているため、各部の色が統一されていない個体も発生する。1945年2月2日、シレジア、ラティボール。






ケッセルドルフとホーエンフリーデベルクの間にあるクンツェンドルフ(シレジア)へ進撃するソ連軍に対して激しい防御戦を繰り広げるドイツ国防軍の擲弾兵と戦車(ヘッツァー?)。Kar98kを持った手前の兵士がパンツァーファウストを背負っている。パンツァーファウストはスリングが無いため、背負っている場面は少ない。1945年2月25日。







雪が降る中、60または100型のパンツァーファウストを構え、国民突撃隊へ使用方法を教える教官。この写真では弾頭ラベルが白っぽく見える。1945年2月~3月、ベルリン。






民間服を着た女性にパンツァーファウストの取り扱いを教える兵士。1945年3月。








パンツァーファウストの射撃訓練を行う国民突撃隊。このシーンは動画でも撮影されている。弾頭はダミー、発射レバーの形状も量産型とは異なっており、レバー後方には謎の円柱形部品が付いているなど訓練専用のパンツァーファウストかもしれない。左手が中途半端な位置(通常は筒の先端部を保持する)にある。1945年3月初旬。








1945年2月1日、「防衛地域」に指定されたベルリンではバリケードが設置され、陣地構築と対戦車用の溝が掘られている。3月10日、パンツァーファウストを装備した国民突撃隊の兵士が地下道へ続く入口のバリケードを警戒している。

3人が持っているダークイエローに塗装されたパンツァーファウストは100型であることが分かる。60型と100型の識別点は弾頭ラベルの文字と照準器の数字、発射筒下にある小さなネジ(筒内部の黒色火薬を固定するため)の有無。これらが鮮明に見える写真は少ないが、この写真では小さなネジが確認できる(赤矢印の箇所)。また弾頭固定金具はバンド型からより簡素化されたタイプ(弾頭側面に長方形のプレートが付く)に変更されている。1945年3月10日、ベルリン。






ノイケルン地区、ヘルマンシュトラーセ駅で構築が進む戦車用バリケードを守る国民突撃隊。左のパンツァーファウストは弾頭ラベルに「Panzerfaust 100m」の文字、右も発射筒にネジの突起が確認できるためどちらも100型。照準器は夜間射撃時の視認性向上のため、一部が白色の夜光塗料で塗装されている。弾頭ラベルはダークイエローよりも僅かに暗い色のようで明らかに白ではない。1945年3月10日、ベルリン。






パンツァーファウストの訓練を受ける国民突撃隊。ダミー弾頭の上部にはフロントサイトの小さな突起がある。1945年4月初旬、ベルリン。






ヒットラーユーゲントの青年がグロースドイッチュラント警備連隊の戦闘学校を訪れた際の写真。1945年4月。




ベルリン市民を対象にパンツァーファウストの説明が行われている。木製台に立つ人物が弾頭を持ち、写真左の人物は訓練用の発射筒を持っている。1945年4月初め、ベルリン。




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