■Kar98k 1942年
冬季迷彩に身を包んだ兵士がKar98kを構える。バットプレートは側面の破損も防ぐ改良されたカップ型のプレス製、白磨き仕上げのためシルバーに輝いている。1942年初頭、ソビエト連邦、ホルムの戦い。
1940年にKar98k用のライフルグレネードとしては初めて採用されたGG/P40(Gewehrgranate zur Panzerbekämpfung 40)を持つヘルマンゲーリング装甲師団の兵士。6枚の小さな安定翼を持つ対戦車榴弾が取り付けられており、GG/P40で使用できる弾薬はこれ1種類のみであった。最大射程約100m、装甲貫徹力70㎜だったが能力不足が指摘され、後継となるシースベッヒャー2型が開発された。1942年初頭、東部戦線。
武装親衛隊の狙撃兵。武装親衛隊では旧式化したGew98のレシーバーと銃身部品を流用したKar98kをシュタイア・ダイムラー・プフ(Steyr-Daimler-Puch)で独自に生産しており、ショート・サイド・レール・マウント(レシーバー左側面にネジ止めするスコープマウント)と武装親衛隊向けに優先して生産された倍率4倍のスコープ「AJACK 4×90 SS-Dienstglas」を組み合わせて使用している。この狙撃銃はレシーバー上面に製造メーカーや製造年の刻印が無く(改造時に刻印を削り取る加工を行う)、レシーバー各所のプルーフマークがGew98に準じた刻印になっている点で識別できる。
写真の銃も搭載スコープが「AJACK 4×90」でありGew98部品を流用したKar98kの可能性がある。1942年3~4月、ソビエト連邦。
白樺の森を警戒しながら進む武装親衛隊の狙撃兵。ショート・サイド・レール・マウント付き(スコープはAJACK 4×90に似ているが若干の相違点がある)、トリガーガード前方・ボルトハンドルの下に見える小さな穴(Gew98用のスリング金具を取り付ける)はGew98や極初期の一部Kar98kにしかない特徴であることからGew98部品を流用したKar98kの可能性がある。1942年、ソビエト連邦。
写真のキャプション「ドイツ全域からの志願兵が所属するグロースドイッチュラント歩兵連隊の擲弾兵は配備される前に厳しい歩兵訓練を受けている。奇襲に対する訓練。兵士は突進し、突然現れる敵を撃ち、最後に驚くほど飛び跳ねる人形を突き刺す。教官はこの突撃に同行する。」
Kar98kを使い実戦的な訓練を受ける兵士。キャプションの内容からダミーの人形は固定式ではなく、隠れた状態で設置され起き上がる機構を備えているようだ。1942年4月。
駐屯地で休む兵士。白い防水シートにはベルト、弾薬ポーチ、銃剣、雑納などの装備品がかかっており、積層材ストックのKar98kはゴム製銃口キャップが付いている。1942年4月頃、ソビエト連邦。
写真キャプション「スナイパーは小銃にスコープを取り付けています。冷静にゴールを狙う。PK記録:従軍記者 Schmidt-Scheeder」
倍率4倍と思われるスコープがショート・サイド・レール・マウントに装着されている。1942年6月11日。
写真のキャプション「重要な戦闘が行われている場所には必ず、帝国全土からの志願兵が集まる我が軍の部隊「グロースドイッチュラント」歩兵師団が配備される。決定的な前進の日々、師団のバイク乗りたちはとても忙しい。PK記者 Kempe」
グロースドイッチュラント所属サイドカーに負傷した士官(中尉?)が乗り、下士官と会話中。下士官は倍率1.5倍の光学望遠照準器・ZF41が付いたKar98kを所持、バイクの後席に座る兵士は銃口の形状から生産数の少ないワルサー社のG.41(W)を背負っている。1942年6月28日、ソビエト連邦。
田舎道を走るトラックに自転車部隊が並走する。Kar98kにはゴム製銃口カバーが付いている。1942年6月、ソビエト連邦。
第一次大戦中に使用されたドイツ軍の狙撃銃はスコープマウントの下に設けられた爪のような形状の突起によって銃本体と接続されており、この方式は第二次大戦の一部の狙撃銃にも採用。爪の本数によってシングル・クロー・マウント(Single Claw Mount)、ダブル・クロー・マウント(Double Claw Mount)の2種類があり、写真のKar98kはダブル・クロー・マウントの中でも前方のマウント支柱がスコープの対物レンズ部分を支えている珍しいタイプ。射手の腰回りには革製のスコープケースが装着されている。1942年6~7月、ソビエト連邦、ヴォロネジ近郊。
Kar98kを構える兵士、双眼鏡で監視する下士官を挟んでPzB39(対戦車ライフル)、奥にはMG34が配置されている。1942年6~7月、ソビエト連邦、ヴォロネジ近郊。
小銃の修理を行う兵士。机の上には初期型Kar98k、分解された機関部、ガスバーナーやノギスなどの工具、地面にも2挺のKar98kが見える。1942年6~7月、ソビエト連邦、クリミア。
戦闘の休憩中にたばこを吸う兵士。Kar98kのストックは積層材の直線ラインが確認できる。1942年7月、ソビエト連邦。
砂丘の上で銃剣付きKar98kを構える兵士。1942年8月、フランス/ベルギー、ヴァルヘレン。
角材を組み合わせた簡易な3脚にKar98kを載せ、海岸で射撃訓練を行っている。積層材の木製ストック、平型バットプレート、フロントサイトガード無しなどの特徴から1938~1940年頃の生産品と推測できる。1942年8月、ベルギー、デ・パンネ。
砂浜に設置された木製台の上で伏せ撃ち射撃訓練を実施。1942年8月、ベルギー、デ・パンネ。
上に掲載した写真と同一の撮影。木製のダミー銃を用いて白兵戦の打撃訓練を行っている。1942年8月、ベルギー、デ・パンネ。
ハリコフ近郊におけるソ連軍の撃退や負傷した中隊長救出などの功績により騎士鉄十字章を授与されたフランツ・ドフ(写真中央、左手負傷中)がオーバーラント地区のヒットラーユーゲント・夏季キャンプを訪れた際の写真。少年が手にするのは22口径の弾薬を使用する訓練銃「Kleinkaliber-Wehrsportgewehr・KKW」で各部の形状や寸法はKar98kに近い。安全対策のためか、写真のKKWはボルトが外されている。1942年8月、バイエルン州、バートライヒェンハル。
Kar98kの予備部品を収納する専用木箱(Armourer's Chest)を開けて部品を取り出す兵士。箱の左には2つに割れた木製ストックが転がっており、後方には金属ヤスリ?などが収納された大きな工具箱が見える。1942年夏、ソビエト連邦。
前方支柱が対物レンズ部を支えるダブル・クロー・マウントを備えたKar98k。1942年9月、ソビエト連邦南部、スターリングラード。
スターリングラードの手前、第6軍の狙撃兵。ソビエト軍の小銃、モシン・ナガンM1891/30などで使用された倍率4倍のPEスコープを搭載した珍しいKar98k。1942年9月、ソビエト連邦。
二人の空軍兵士は共にZF41を付けたKar98kを持っている。先頭を進む兵士のZF41はエレベーションリングの径が小さい初期型で前後にレインシールドを装着。双眼鏡を持つ左手の下にはZF41収納ケースらしきものが見える。1942年、ソビエト連邦。
塹壕からZF41付きKar98k を構えるドイツ空軍の兵士。ZF41は接眼レンズと目の距離が離れているため視野が狭い欠点がある一方、周囲の状況を確認しながら効率的な射撃が行える。Kar98kは無垢材に平型バットプレートが付いた初期型。1942年、ソビエト連邦。射手は一つ上に掲載した写真と同一人物と思われる。
初期型ZF41を装着したKar98kを持つ降下猟兵?の狙撃兵。後方の看板には「敵の洞察に注意 狙撃兵」と書かれている。1942年、中央ソビエト連邦。
国民社会主義突撃隊(SA)の精鋭部隊であるフェルトヘルンハレ(Feldherrnhalle)の隊員がKar98kの訓練を受けている。5発クリップの弾薬は弾頭部分が丸く見えるため模擬弾のようだ。1942年頃。
射撃場でKar98kを構えるドイツ空軍総司令官 ヘルマン・ゲーリング。1942年頃。
兵士が持つ銃に興味を示す北アフリカの現地人。Kar98kは1940年よりも以前に生産された初期型で、金属製の銃口カバーが装着されている。1942年または1943年、チュニジア。
ブレており鮮明な写真ではないが、車輌に立て掛けられたKar98kには機関部カバーが装着されている。1942または1943年、北アフリカ、チュニジア。
飛行場で装備品を持つ兵士。積層材ストックを持つKar98kのリコイル・クロスボルトは白磨き仕上げ、ゴム製の銃口キャップが付いている。銃のスリング表面に加工された「魚の皮(Fischhaut)」と呼ばれるひし形模様や縁の2本線(白矢印)などが確認できる。これらの模様は生産不良を除くすべてのKar98k用スリングに加工されており例外は無い。摩耗や経年で模様が消えてしまう場合もあるが、オリジナル品を入手する場合は模様の有無を確認する。1942または1943年、北アフリカ、チュニジア。
雪が残る塹壕で初期型ZF41付きKar98kを構える第11航空隊の降下猟兵。塹壕側面に設けられた棚には冬季迷彩された双眼鏡(Dienstglas 10×50)、照準調整用ダイヤルを備えた信号拳銃、手榴弾などが置かれている。1942年または1943年、ソビエト連邦。
2級鉄十字章を授与された冬季迷彩服の降下猟兵。Kar98kやルガーP08用ホルスター、弾薬ポーチなども白く塗装されている。1942年または1943年、ソビエト連邦。
写真キャプション「オーバーフランケン、ポッテンシュタインのカルスト訓練場。カルスト地形での防衛や山岳戦闘などあらゆる面を学び、特別な戦闘訓練を受けた兵士で編成された部隊だけが戦いで生き残る。様々な山岳任務に対処でき、混乱する最前線で困難な戦闘任務を実行することもできる。」
武装親衛隊の兵士がKar98kを構えている。写真が不鮮明だが手前のKar98kにはスコープのようなものが載っているように見える。1942年または1944年。