■Kar98k 1941~1943年




北アフリカへ飛ぶユンカース Ju52 輸送機の横で待機するドイツ空軍兵士。無垢材に見える木製ストックと平型バットプレート、H型のフロントバンド、フロントサイトガードが無い銃口部など、極初期型Kar98kの特徴をすべて備えており、ゴム製の銃口キャップが付いている。白磨き仕上げのクロスボルト(木製ストック中央の円形部品)や撃針分解ディスクが目立つ。Kar98kの上に見えるのは対戦車ライフル(PzB39)。1941年初頭、地中海地域。




第1SS装甲師団、兵舎の庭で行われたKar98kの模擬射撃訓練。1941年3月、ベルリン、リヒターフェルデ。




かなり使い込んで表面仕上げが薄くなったKar98k には銃剣(84/98)が装着されている。1941年夏、ソビエト連邦。




1940年にKar98k用のライフルグレネードとしては初めて採用されたGG/P40(Gewehrgranate zur Panzerbekämpfung 40)を持つヘルマンゲーリング装甲師団の兵士。6枚の小さな安定翼を持つ対戦車榴弾が取り付けられており、最大射程約100m、装甲貫徹力は70㎜だったが能力不足が指摘され、後継となるシースベッヒャー2型が開発された。1942年初頭、東部戦線。






武装親衛隊の狙撃兵。武装親衛隊では旧式化したGew98のレシーバーと銃身部品を流用したKar98kをシュタイア・ダイムラー・プフ(Steyr-Daimler-Puch)で独自に生産しており、ショート・サイド・レール・マウント(レシーバー左側面にネジ止めするスコープマウント)と武装親衛隊向けに優先して生産された倍率4倍のスコープ「AJACK 4×90 SS-Dienstglas」を組み合わせて使用している。この狙撃銃はレシーバー上面に製造メーカーや製造年の刻印が無く(改造時に刻印を削り取る加工を行う)、レシーバー各所のプルーフマークがGew98に準じた刻印になっている点で識別できる。

写真の銃も搭載スコープが「AJACK 4×90」でありGew98部品を流用したKar98kの可能性がある。1942年3~4月、ソビエト連邦。






白樺の森を警戒しながら進む武装親衛隊の狙撃兵。ショート・サイド・レール・マウント付き(スコープはAJACK 4×90に似ているが若干の相違点がある)、トリガーガード前方・ボルトハンドルの下に見える小さな穴(Gew98用のスリング金具を取り付ける)はGew98や極初期の一部Kar98kにしかない特徴であることからGew98部品を流用したKar98kの可能性がある。1942年、ソビエト連邦。






写真のキャプション「ドイツ全域からの志願兵が所属するグロースドイッチュラント歩兵連隊の擲弾兵は配備される前に厳しい歩兵訓練を受けている。奇襲に対する訓練。兵士は突進し、突然現れる敵を撃ち、最後に驚くほど飛び跳ねる人形を突き刺す。教官はこの突撃に同行する。」

Kar98kを使い実戦的な訓練を受ける兵士。キャプションの内容からダミーの人形は固定式ではなく、隠れた状態で設置され起き上がる機構を備えているようだ。1942年4月。








角材を組み合わせた簡易な3脚にKar98kを載せ、海岸で射撃訓練を行っている。積層材の木製ストック、平型バットプレート、フロントサイトガード無しなどの特徴から1938~1940年頃の生産品と推測できる。1942年8月、ベルギー、デ・パンネ。








砂浜に設置された木製台の上で伏せ撃ち射撃訓練を実施。1942年8月、ベルギー、デ・パンネ。




上に掲載した写真と同一の撮影。木製のダミー銃を用いて白兵戦の打撃訓練を行っている。1942年8月、ベルギー、デ・パンネ。






ハリコフ近郊におけるソ連軍の撃退や負傷した中隊長救出などの功績により騎士鉄十字章を授与されたフランツ・ドフ(写真中央、左手負傷中)がオーバーラント地区のヒットラーユーゲント・夏季キャンプを訪れた際の写真。少年が手にするのは22口径の弾薬を使用する訓練銃「Kleinkaliber-Wehrsportgewehr・KKW」で各部の形状や寸法はKar98kに近い。安全対策のためか、写真のKKWはボルトが外されている。1942年8月、バイエルン州、バートライヒェンハル。




Kar98kの予備部品を収納する専用木箱(Armourer's Chest)を開けて部品を取り出す兵士。箱の左には2つに割れた木製ストックが転がっており、後方には金属ヤスリ?などが収納された大きな工具箱が見える。1942年夏、ソビエト連邦。




第一次大戦中に使用されたドイツ軍の狙撃銃はスコープマウントの下に設けられた爪のような形状の突起によって銃本体と接続されており、この方式は第二次大戦の一部の狙撃銃にも採用。爪の本数によってシングル・クロー・マウント(Single Claw Mount)、ダブル・クロー・マウント(Double Claw Mount)の2種類があり、写真のKar98kはダブル・クロー・マウントの中でも前方のマウント支柱がスコープの対物レンズ部分を支えている珍しいタイプ。1942年9月、ソビエト連邦南部、スターリングラード。






スターリングラードの手前、第6軍の狙撃兵。ソビエト軍の小銃、モシン・ナガンM1891/30などで使用された倍率4倍のPEスコープを搭載した珍しいKar98k。1942年9月、ソビエト連邦。






二人の兵士は共にZF41を付けたKar98kを持っている。先頭を進む兵士のZF41はエレベーションリングの径が小さい初期型で前後にレインシールドを装着。双眼鏡を持つ左手の下にはZF41収納ケースらしきものが見える。1942年、ソビエト連邦。




塹壕からZF41付きKar98k を構えるドイツ空軍または武装親衛隊の兵士。ZF41は接眼レンズと目の距離が離れているため視野が狭い欠点がある一方、周囲の状況を確認しながら効率的な射撃が行える。Kar98kは無垢材に平型バットプレートが付いた初期型。1942年、ソビエト連邦。






初期型ZF41を装着したKar98kを持つ降下猟兵?の狙撃兵。後方の看板には「敵の洞察に注意 狙撃兵」と書かれている。1942年、中央ソビエト連邦。






国民社会主義突撃隊(SA)の精鋭部隊であるフェルトヘルンハレ(Feldherrnhalle)の隊員がKar98kの訓練を受けている。5発クリップの弾薬は弾頭部分が丸く見えるため模擬弾のようだ。1942年頃。






兵士が持つ銃に興味を示す北アフリカの現地人。Kar98kは1940年よりも以前に生産された初期型で、金属製の銃口カバーが装着されている。1942年または1943年、チュニジア。






雪が残る塹壕で初期型ZF41付きKar98kを構える第11航空隊の降下猟兵。塹壕側面に設けられた棚には冬季迷彩された双眼鏡(Dienstglas 10×50)、照準調整用ダイヤルを備えた信号拳銃、手榴弾などが置かれている。1942年または1943年、ソビエト連邦。




2級鉄十字章を授与された冬季迷彩服の降下猟兵。Kar98kやルガーP08用ホルスター、弾薬ポーチなども白く塗装されている。1942年または1943年、ソビエト連邦。






冬季迷彩服を着た兵士が寝ており、その横にZF41(エレベーションリング径が大型化した改良型)付きのKar98kが置かれている。木製ストックは積層材、形状が簡略化された削り出しフロントバンドから1941年以降の製造品。1943年1~2月、ソビエト連邦北部。






グレネードランチャー・シースベッヒャー2型(Gewehrgranatgerät)付きの真新しいKar98kを持つグロースドイッチュラントの兵士。シースベッヒャー2型は約145万個が生産されているため、単純計算するとKar98kの10挺に1つの割合で配備されていたことになる。1943年6月、中央ロシア。






擱座したT-34戦車の隣でKar98kを構える兵士。エレベーションリングが大型化したZF41が付いている。撃針はコッキングされ、セーフティは解除されているので実弾が装填されていれば即座に射撃できる状態にある。1943年6~7月、ソビエト連邦中部/南部。






大西洋の壁、要塞の前でKar98kの清掃を行う兵士。机の上には34型クリーニングキットが見える。1943年、北フランス・ベルギー。




射撃訓練を行うドイツ空軍兵士。1943年秋、ノルウェー。




狙撃用として幅広く使用された倍率4倍のスコープをターレット・マウント(Turret-Mount)と呼ばれるマウント金具に搭載したKar98k。銃を保護するためか、依託している石との間には手袋?を挟んでおり、銃口側にも黒い布が巻かれているようだ。1943年12月、ノルウェー、ラップランド、フィンランド。




エストニア警官の将校がドイツ警察技術交通学校を訪問した際の写真。武器保管庫には積層材木製ストックが美しいKar98kが並び、奥ではエストニアの将校がスコープを覗いている。1943年、ベルリン。






インド人の志願兵で編成された第950歩兵連隊(自由インド軍団)の兵士がKar98kの射撃訓練を受けている。1943年頃、オランダ・フランス。




降下猟兵が持つKar98kには布切れを使った簡易のスリングが付いている。1943年、イタリア。




銃にいたるまで念入りに擬装を施し、木に登って狙いを定める狙撃兵。1943年または1944年、ベルギー・フランス。



ターレット・マウント、4倍スコープのKar98kはプレス製のフロントバンドが付いた1943年以降の生産型 。1943年または1944年、ベルギー・フランス。










新品のように見えるKar98kを使い狙撃の訓練を受ける兵士。4倍のスコープやレシーバー上面の前後に設けられたターレット・マウントの詳細が分かる。上の写真は無垢材の木製ストックだが珍しい木目模様が確認でき、構えた銃を安定させるためスリングを左腕に巻いている。1943年または1944年、ベルギー・フランス。






ターレット・マウント方式と共に4倍スコープを装着する際に多用されたショート・サイド・レール・マウント(Short Side Rail Mount)を持つKar98k。このマウントはレシーバー左側に3本のネジで固定する構造だが、射撃の反動でネジが緩むという問題に悩まされる事になる。このため、3本のネジに緩み防止ネジを追加、2本のテーパーピンを追加、マウント中央に垂直ネジのロックレバーを追加するという改良が段階的に実施された。

写真のショート・サイド・レール・マウントはマウント中央の上面にロックレバーが追加された後期型。1943年または1944年、ベルギー・フランス。




ショート・サイド・レール・マウントに4倍スコープを載せたKar98k。対物レンズにはカメラマンの姿が写っている。1943年末、ソビエト連邦。




Kar98kを伏せ撃ちする降下猟兵。1943年または1944年、イタリア。




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