■Kar98k 1944~1945年



もみの枝で擬装し双眼鏡を持つ狙撃兵は二級鉄十字章と一級鉄十字章、戦傷章を付けたベテラン。ターレット・マウントを持つKar98kの金属部、特に4倍スコープの本体は黒い表面仕上げが完全に落ち、シルバーメッキされたように輝いている。通常の使用ではここまで仕上げが落ちないため、意図的に黒染めを落とした可能性がある。1944年1~2月、ソビエト連邦。








丸太を遮蔽物にした狙撃兵が立射でKar98kを構えている。4倍のスコープをターレット・マウントを介してKar98kに搭載し、対物・接眼レンズを保護するレンズカバーがぶら下がっている。フロントバンドはプレス製。1944年春、ソビエト連邦。




シースベッヒャー2型付きKar98kで対戦車戦闘の訓練を受ける兵士。革製のシースベッヒャー収納ケースも確認できる。1944年春、ソビエト連邦南部、ウクライナ。






1944年1月から3月にかけて、レニングラード地域解放のソ連軍攻勢が行われている間、ドイツ軍はイリメニ湖とフィンランド湾の間の地域からペイプシ湖へ移動(撤退)した。

木箱や兵士の装備品を満載にしたワゴンには4挺の使い込まれたKar98kと珍しいG.41が確認できる。1944年2月28日、ソビエト連邦、イリメニ湖とフィンランド湾の間に位置する幹線道路上の前線。








ZF41を覗く兵士。エレベーションリングの幅が狭い初期の1型で接眼レンズ側にレインシールドが装着されている。1944年3月、ソビエト連邦、ヴィテブスク近郊。






撃破?された戦車の砲塔で4倍スコープ、ショート・サイド・レール・マウントのKar98kを構える兵士。1944年5~6月、ウクライナ南部。




蛸壺に入りKar98kを手にする兵士。1944年、フランス。




擬装した狙撃兵が双眼鏡(Dienstglas 6×30)を覗いている。ZF41を装着したKar98kは1941年以降の生産品に見えるが、フロントサイトガードは外れている。1944年、北フランス。






パンサー戦車のエンジンデッキに乗る歩兵の一団。タバコをくわえる兵士はZF41の金属製収納ケースを装備しているため、この兵士が持っているKar98k はZF41装着型であると推測できる。1944年、北フランス。




木の下に座ってKar98kを清掃するイタリア兵。1944年、イタリア。








蛸壺で銃剣を清掃する降下猟兵。ZF41は幅の広いエレベーションリングを持つ改良型で前後にレインシールドを装着。Kar98kは生産時期の異なる部品が混じっており(初期の平型バットプレートと形状が簡略化されたフロントバンドなど)、部品が交換されているようだ。薬室清掃ブラシ、オイラー缶、銃身清掃用チェーン、銃身清掃用ブラシが差し込まれたクリーニングロッド、シースベッヒャー2型なども置かれている。1944年6~7月、フランス。






ブラシで銃を清掃する降下猟兵。ボルトが後退位置にあるKar98kは薬室上部の刻印がはっきりと読める珍しい写真。「bcd/ar」はグストロフ社とマウザー社それぞれの製造メーカーコードが併記されており、「42」は1942年製造を示す。1944年6~7月、フランス。






大戦後半の雰囲気を漂わせる歩兵の一団が通過する。手前の兵士が持つKar98kはマガジンベースがプレス製となった後期型。1944年7~8月、フランス北部、ブールトルルド アンフレヴィル。






道端で休憩中、ヘルメットにぬいぐるみのような白い子猫が収まる。Kar98kは形状が簡略化された中期仕様の削り出しバンドを備え、フロントサイトガードは外れている。1944年7~8月、イタリア、フィレンツェ/ラヴェンナ。




シースベッヒャー2型が装着されたKar98kを持つドイツ空軍の兵士。装填された榴弾(Gewehrsprenggranate)の先端が見える。1944年夏、フランス。




ターレット・マウント付きKar98k。ボルト後部の安全装置は操作時にスコープ本体との干渉を防ぐため、先端部が削られている。1944年夏、ルーマニア南部。






ワルシャワ蜂起の銃撃戦で銃を構える兵士は2挺のKar98kを所持している。1944年8月、ワルシャワ。






ショート・サイド・レール・マウントのKar98k。安全装置が中間の上位置(この状態でも安全装置はONになる)にある。1944年8~9月、ソビエト連邦北部。






若い兵士が手榴弾を持ち、シースベッヒャー2型を付けたKar98kを構えているが榴弾などは装填されていない。シースベッヒャー用弾薬木箱の上に銃を載せている。1944年9月、オランダ、アーネム。




Kar98kと手榴弾を持ち塹壕に入る若い兵士。1944年秋、オランダ、アーネム/ニンヴェーゲン。






塹壕の兵士が持つKar98kは形状が簡略化された削り出し銃身固定バンドにプレス製のハンドガード固定リングを持つ1943年以降の生産型。1944年、ソビエト連邦。






森の中で対戦車砲を配置する兵士。写真を拡大するとKar98kのトリガーガードは後期のプレス製(トリガーガード周囲にプレス加工による凸がある)であることが分かる。1944年、東部戦線。




シースベッヒャー2型を構える兵士。榴弾が装填されており、リアサイト横の照準器の角度から100~150m先の目標を狙っているようだ。1944年、ドイツ国内。










同一の狙撃兵を撮影した3枚の写真。1943年以降に生産されたKar98kにターレット・マウントと4倍スコープ。1944年8~9月、ソビエト連邦北部。




兵舎の庭で射撃訓練を行う国民突撃隊の隊員。末期を象徴するかのように銃は統一されておらず、旧式のGew98?なども混じっている。1944年10月23日。




4挺のパンツァーファウストが収まる木箱と、新たに配備された国民突撃隊大隊用に輸送されたKar98kがトラックに積まれている。1944年12月、モーゼル地方。






写真キャプション「新しい国民突撃隊の腕章。間に合わせで作られた腕章は、新しい、異なる色の腕章に置き換えられている。腕章はすでに生産されており、一部の国民突撃隊には支給されている。写真:SS-PK 戦争記者 Wauer」

新品のように見えるKar98kは3つのリブがあるプレス製バンドになっており、ゴム製銃口キャップが装着されている。スリングはうっすらと確認できる表面の模様から革製のように見えるが、色目はかなり明るい。1944年12月5日。






ドイツ軍の病院列車の中でKar98kの点検を行う軍曹。1944年または1945年。






写真キャプション「ヒットラーユーゲント・バンキャンプでの軍事訓練。ヒットラーユーゲントの軍事訓練キャンプが主に少年たちの身体訓練に重点を置いていたのに対して、バンキャンプは武器訓練に重点を置く。小銃を使った訓練。すべての少年は標的に銃を向けることを許される前に、自分の武器を熟知しなければならない。写真:Hamann」

15人ほどのヒットラーユーゲントの少年が射撃訓練を受けている。様々な生産時期のKar98kが混ざっているようで、かなり使い込まれている様子。1945年頃。






写真キャプション「ポメラニアの町・ピリッツを守るため、ドイツは国民突撃隊・ヒットラーユーゲント中隊の投入をためらわなかった。ここでは少年たちが地域行政のリーダーと会話している。」

ヘルメットにゴーグルを装着した少年兵がZF41付きKar98kを所持している。拡大写真はやや不鮮明だが前後はレインシールドが付き、幅の広いエレベーションリングを持つ改良型ZF41に見える。1945年2月、ポメラニア。






写真のキャプション「1945年2月1日、「防衛地域」に指定されたベルリンでは国民突撃隊の訓練が強化される。仕事を終えた国民突撃隊の兵士が武器の指導を受けている。73歳の中隊長がKar98kについて説明する。」 1945年3月10日、ベルリン。




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