■Kar98k 1943年





冬季迷彩服を着た兵士が寝ており、その横にZF41(エレベーションリング径が大型化した改良型)付きのKar98kが置かれている。木製ストックは積層材、形状が簡略化された削り出しフロントバンドから1941年以降の製造品。1943年1~2月、ソビエト連邦北部。






グレネードランチャー・シースベッヒャー2型(Gewehrgranatgerät)付きの真新しいKar98kを持つグロースドイッチュラントの兵士。シースベッヒャー2型は約145万個が生産されているため、単純計算するとKar98kの10挺に1つの割合で配備されていたことになる。1943年6月、中央ロシア。






擱座したT-34戦車の隣でKar98kを構える兵士。エレベーションリングが大型化したZF41が付いている。撃針はコッキングされ、セーフティは解除されているので実弾が装填されていれば即座に射撃できる状態にある。1943年6~7月、ソビエト連邦中部/南部。




パルチザンと戦う武装親衛隊の兵士。やや不鮮明な写真だが、レインシールド付きの初期型ZF41を装備しており、腰にZF41収納ケースが確認できる。1943年7~8月、ソビエト連邦中央。










初期型のKar98kで狙いを定めるアルメニア人兵士(第1コサック騎兵師団?)。1943年夏、ソビエト連邦。






大西洋の壁、要塞の前でKar98kの清掃を行う兵士。机の上には34型クリーニングキットが見える。1943年、北フランス・ベルギー。




塹壕内でKar98kの清掃を行う武装親衛隊の兵士。1943年9月、ソビエト連邦。






9月の撮影だが雪が積もり、4号戦車H型と戦車に乗る兵士(山岳猟兵?)はどちらも冬季仕様となっている。全員がKar98kを所持しており、写真右から2人目と4人目の兵士はKar98kの銃身に金属製弾薬箱を下げている。この携行スタイルは他でも確認できるのだが、300発の弾薬入りだと重量は10㎏を超えるため、空の弾薬箱ではないかと推測する。1943年9月、ロシア、ノルド。






プロゼチュニッツ親衛隊装甲擲弾兵学校で訓練を受ける親衛隊ガリシア師団のロシア/ウクライナ人志願兵。ショート・サイド・レール・マウントに4倍スコープを載せたKar98kを使用している。教官はフリッツ・レントロップ(Fritz Rentrop)大尉。1943年9~10月、チェコスロバキア、レシャン。




写真キャプション「ボヘミアの軍事訓練場で行われた親衛隊ガリシア師団の教練コースの最後に、軽/重歩兵用兵器を使った射撃訓練が実施された。」

シースベッヒャー2型付きKar98kを構える武装親衛隊の兵士。照準器の設定角度から、急角度の曲射弾道射撃を学んでいる様子。1943年10月、チェコスロバキア、レシャン。






エルサレムの大ムフティー(最高法官)であるアーミン・フサイニ-(Amin al-Husseini)がボスニア武装親衛隊義勇兵の射撃訓練を見学している。1943年11月。




射撃訓練を行うドイツ空軍兵士。1943年秋、ノルウェー。




倍率4倍のスコープをターレット・マウントに搭載したKar98k。銃を保護するためか、依託している石との間には手袋?を挟んでおり、銃口側にも黒い布が巻かれているようだ。1943年12月、ノルウェー、ラップランド、フィンランド。




エストニア警官の将校がドイツ警察技術交通学校を訪問した際の写真。武器保管庫には積層材木製ストックが美しいKar98kが並び、奥ではエストニアの将校がスコープを覗いている。1943年、ベルリン。






インド人の志願兵で編成された第950歩兵連隊(自由インド軍団)の兵士がKar98kの射撃訓練を受けている。1943年頃、オランダ・フランス。




降下猟兵が持つKar98kには布切れを使った簡易のスリングが付いている。1943年、イタリア。






クレタ島の南海岸にあるプレヴェリ修道院でラバに乗るドイツ兵。初期の平型バットプレートに積層材の組み合わせから1938~1939年頃に製造されたKar98kを持っている。1943年、ギリシャ、クレタ島。




森の中で待機する武装親衛隊の兵士。シーズベッヒャー2型付きのKar98kを持ち、専用の照準器も確認できる。1943年、バルカン半島。










海軍沿岸砲台ヴァラ(MKB 6/502 Vara)でKar98kの分解・清掃を行う兵士。3挺ともボルトが外されており、34型クリーニングキットのスチール缶も確認できる。1943年、ノルウェー、モーヴィクの近く。




ショート・サイド・レール・マウントに4倍スコープを載せたKar98k。対物レンズにはカメラマンの姿が写っている。1943年末、ソビエト連邦。




Kar98kを伏せ撃ちする降下猟兵。1943年または1944年、イタリア。








ラフェッテ34にZF41が付いたKar98kを載せ、試射を行っている山岳猟兵。地面には多数の薬莢と15発入り紙箱が散乱している。1943年、ラップランド、フィンランド。








試射の結果からZF41の照準調整を行っている。対物レンズ上部のスリットから調整棒を差し込み2つのレンズ鏡胴を回転させる。1943年、ラップランド、フィンランド。








上の2枚に続く照準調整中の写真。テーブルの上には弾薬や工具、ZF41、ZF41用レインシールド、マガジンベース、マガジンフォロアーなどが確認できる。1943年、ラップランド、フィンランド。






フランスとスペインの国境、国境警備隊を務めるドイツ兵が対戦車地雷(T.Mi.35)を敷設している。Kar98kは平型バットプレートを持つ初期型で各部のブルーイングはかなり薄くなっているように見える。1943年、フランス、東ピレネー、セルベール近く。




銃の部品?やKar98kを持つ第950歩兵連隊(自由インド軍団)。1943年頃、オランダ/フランス。




Kar98kと初期型FG42の2挺を持った降下猟兵。1943年または1944年、イタリア。




わらや草で念入りに擬装した降下猟兵。木製ストック中央に埋め込まれたクロスボルトは白磨き仕上げ、ボルトは安全装置が掛かっており、この状態ではボルトハンドルも動かないように固定される。1943年または1944年、イタリア。






ヘルメットに擬装を施しKar98kを持つ降下猟兵。1943年または1944年、イタリア。














1943年または1944年にベルギー・フランスの海岸地域で実施された狙撃兵の戦闘訓練。この様子はKurth Bernhard というカメラマンによって撮影されており、迷彩ジャケットを着た兵士や装備品、狙撃用スコープを搭載したKar98kなどの細部を鮮明に捉えている。以下、この訓練時の写真が続く。

このカメラマンは1942年から1944年後半にかけて兵士、車輌、装備品などを被写体に多数の写真を残している。いずれも優れた構図、高画質な写真であり、ミリタリー雑誌などで見かける機会も多い。




銃にいたるまで念入りに擬装を施し、木に登って狙いを定める狙撃兵。1943年または1944年、ベルギー・フランス。



ターレット・マウント、4倍スコープのKar98kはプレス製のフロントバンドが付いた1943年以降の生産型 。1943年または1944年、ベルギー・フランス。










新品のように見えるKar98kを使い狙撃の訓練を受ける兵士。4倍のスコープやレシーバー上面の前後に設けられたターレット・マウントの詳細が分かる。上の写真は無垢材の木製ストックだが珍しい木目模様が確認でき、構えた銃を安定させるためスリングを左腕に巻いている。1943年または1944年、ベルギー・フランス。
















ターレット・マウント方式と共に4倍スコープを装着する際に多用されたショート・サイド・レール・マウント(Short Side Rail Mount)を持つKar98k。このマウントはレシーバー左側に3本のネジで固定する構造だが、射撃の反動でネジが緩むという問題に悩まされる事になる。このため、3本のネジに緩み防止ネジを追加、2本のテーパーピンを追加、マウント中央に垂直ネジのロックレバーを追加するという改良が段階的に実施された。

写真のショート・サイド・レール・マウントはマウント中央の上面にロックレバーが追加された後期型。1943年または1944年、ベルギー・フランス。




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