■Kar98k 1942~1943年
前方支柱が対物レンズ部を支えるダブル・クロー・マウントを備えたKar98k。1942年9月、ソビエト連邦南部、スターリングラード。
スターリングラードの手前、第6軍の狙撃兵。ソビエト軍の小銃、モシン・ナガンM1891/30などで使用された倍率4倍のPEスコープを搭載した珍しいKar98k。1942年9月、ソビエト連邦。
二人の空軍兵士は共にZF41を付けたKar98kを持っている。先頭を進む兵士のZF41はエレベーションリングの径が小さい初期型で前後にレインシールドを装着。双眼鏡を持つ左手の下にはZF41収納ケースらしきものが見える。1942年、ソビエト連邦。
塹壕からZF41付きKar98k を構えるドイツ空軍の兵士。ZF41は接眼レンズと目の距離が離れているため視野が狭い欠点がある一方、周囲の状況を確認しながら効率的な射撃が行える。Kar98kは無垢材に平型バットプレートが付いた初期型。1942年、ソビエト連邦。射手は一つ上に掲載した写真と同一人物と思われる。
初期型ZF41を装着したKar98kを持つ降下猟兵?の狙撃兵。後方の看板には「敵の洞察に注意 狙撃兵」と書かれている。1942年、中央ソビエト連邦。
国民社会主義突撃隊(SA)の精鋭部隊であるフェルトヘルンハレ(Feldherrnhalle)の隊員がKar98kの訓練を受けている。5発クリップの弾薬は弾頭部分が丸く見えるため模擬弾のようだ。1942年頃。
射撃場でKar98kを構えるドイツ空軍総司令官 ヘルマン・ゲーリング。1942年頃。
兵士が持つ銃に興味を示す北アフリカの現地人。Kar98kは1940年よりも以前に生産された初期型で、金属製の銃口カバーが装着されている。1942年または1943年、チュニジア。
ブレており鮮明な写真ではないが、車輌に立て掛けられたKar98kには機関部カバーが装着されている。1942または1943年、北アフリカ、チュニジア。
飛行場で装備品を持つ兵士。積層材ストックを持つKar98kのリコイル・クロスボルトは白磨き仕上げ、ゴム製の銃口キャップが付いている。銃のスリング表面に加工された「魚の皮(Fischhaut)」と呼ばれるひし形模様や縁の2本線(白矢印))などが確認できる。これらの模様は生産不良を除くすべてのKar98k用スリングに加工されており例外は無い。摩耗や経年で模様が消えてしまう場合もあるが、オリジナル品を入手する場合は模様の有無を確認する。1942または1943年、北アフリカ、チュニジア。
雪が残る塹壕で初期型ZF41付きKar98kを構える第11航空隊の降下猟兵。塹壕側面に設けられた棚には冬季迷彩された双眼鏡(Dienstglas 10×50)、照準調整用ダイヤルを備えた信号拳銃、手榴弾などが置かれている。1942年または1943年、ソビエト連邦。
2級鉄十字章を授与された冬季迷彩服の降下猟兵。Kar98kやルガーP08用ホルスター、弾薬ポーチなども白く塗装されている。1942年または1943年、ソビエト連邦。
冬季迷彩服を着た兵士が寝ており、その横にZF41(エレベーションリング径が大型化した改良型)付きのKar98kが置かれている。木製ストックは積層材、形状が簡略化された削り出しフロントバンドから1941年以降の製造品。1943年1~2月、ソビエト連邦北部。
グレネードランチャー・シースベッヒャー2型(Gewehrgranatgerät)付きの真新しいKar98kを持つグロースドイッチュラントの兵士。シースベッヒャー2型は約145万個が生産されているため、単純計算するとKar98kの10挺に1つの割合で配備されていたことになる。1943年6月、中央ロシア。
擱座したT-34戦車の隣でKar98kを構える兵士。エレベーションリングが大型化したZF41が付いている。撃針はコッキングされ、セーフティは解除されているので実弾が装填されていれば即座に射撃できる状態にある。1943年6~7月、ソビエト連邦中部/南部。
パルチザンと戦う武装親衛隊の兵士。やや不鮮明な写真だが、レインシールド付きの初期型ZF41を装備しており、腰にZF41収納ケースが確認できる。1943年7~8月、ソビエト連邦中央。
大西洋の壁、要塞の前でKar98kの清掃を行う兵士。机の上には34型クリーニングキットが見える。1943年、北フランス・ベルギー。
塹壕内でKar98kの清掃を行う武装親衛隊の兵士。1943年9月、ソビエト連邦。
プロゼチュニッツ親衛隊装甲擲弾兵学校で訓練を受ける親衛隊ガリシア師団のロシア/ウクライナ人志願兵。ショート・サイド・レール・マウントに4倍スコープを載せたKar98kを使用している。教官はフリッツ・レントロップ(Fritz Rentrop)大尉。1943年9~10月、チェコスロバキア、レシャン。
写真キャプション「ボヘミアの軍事訓練場で行われた親衛隊ガリシア師団の教練コースの最後に、軽/重歩兵用兵器を使った射撃訓練が実施された。」
シースベッヒャー2型付きKar98kを構える武装親衛隊の兵士。照準器の設定角度から、急角度の曲射弾道射撃を学んでいる様子。1943年10月、チェコスロバキア、レシャン。
エルサレムの大ムフティー(最高法官)であるアーミン・フサイニ-(Amin al-Husseini)がボスニア武装親衛隊義勇兵の射撃訓練を見学している。1943年11月。
射撃訓練を行うドイツ空軍兵士。1943年秋、ノルウェー。
倍率4倍のスコープをターレット・マウントに搭載したKar98k。銃を保護するためか、依託している石との間には手袋?を挟んでおり、銃口側にも黒い布が巻かれているようだ。1943年12月、ノルウェー、ラップランド、フィンランド。
エストニア警官の将校がドイツ警察技術交通学校を訪問した際の写真。武器保管庫には積層材木製ストックが美しいKar98kが並び、奥ではエストニアの将校がスコープを覗いている。1943年、ベルリン。
インド人の志願兵で編成された第950歩兵連隊(自由インド軍団)の兵士がKar98kの射撃訓練を受けている。1943年頃、オランダ・フランス。
降下猟兵が持つKar98kには布切れを使った簡易のスリングが付いている。1943年、イタリア。
クレタ島の南海岸にあるプレヴェリ修道院でラバに乗るドイツ兵。初期の平型バットプレートに積層材の組み合わせから1938~1939年頃に製造されたKar98kを持っている。1943年、ギリシャ、クレタ島。
森の中で待機する武装親衛隊の兵士。シーズベッヒャー2型付きのKar98kを持ち、専用の照準器も確認できる。1943年、バルカン半島。
ショート・サイド・レール・マウントに4倍スコープを載せたKar98k。対物レンズにはカメラマンの姿が写っている。1943年末、ソビエト連邦。
Kar98kを伏せ撃ちする降下猟兵。1943年または1944年、イタリア。
1943年または1944年にベルギー・フランスの海岸地域で実施された狙撃兵の戦闘訓練。この様子は「Kurth」「Bernhard」という2名のカメラマンによって撮影されており、迷彩ジャケットを着た兵士や装備品、狙撃用スコープを搭載したKar98kなどの細部を鮮明に捉えている。以下、この訓練時の写真が続く。
このカメラマンは1942年から1944年後半にかけて兵士、車輌、装備品などを被写体に多数の写真を残している。いずれも優れた構図、高画質な写真であり、ミリタリー雑誌などで見かける機会も多い。
銃にいたるまで念入りに擬装を施し、木に登って狙いを定める狙撃兵。1943年または1944年、ベルギー・フランス。
ターレット・マウント、4倍スコープのKar98kはプレス製のフロントバンドが付いた1943年以降の生産型 。1943年または1944年、ベルギー・フランス。
新品のように見えるKar98kを使い狙撃の訓練を受ける兵士。4倍のスコープやレシーバー上面の前後に設けられたターレット・マウントの詳細が分かる。上の写真は無垢材の木製ストックだが珍しい木目模様が確認でき、構えた銃を安定させるためスリングを左腕に巻いている。1943年または1944年、ベルギー・フランス。
ターレット・マウント方式と共に4倍スコープを装着する際に多用されたショート・サイド・レール・マウント(Short Side Rail Mount)を持つKar98k。このマウントはレシーバー左側に3本のネジで固定する構造だが、射撃の反動でネジが緩むという問題に悩まされる事になる。このため、3本のネジに緩み防止ネジを追加、2本のテーパーピンを追加、マウント中央に垂直ネジのロックレバーを追加するという改良が段階的に実施された。
写真のショート・サイド・レール・マウントはマウント中央の上面にロックレバーが追加された後期型。1943年または1944年、ベルギー・フランス。