■MP38 / MP40 1940~1942年
MP38の分解・清掃を行う戦車兵。スリングはMP38用ではなくKar98k用を装着。後方では38(t)戦車を整備している。1940年5~6月、フランス。
降下猟兵とイギリス兵の捕虜。MP38はボルトハンドルを後部の切れ込みに引っかけた安全状態にある。MP38は不用意なボルト後退による暴発事故が多発したため、実弾の入ったマガジンを装着した際には、ボルトを前進位置にせず、後退位置で安全装置に掛ける事を徹底した。1941年5~6月、ギリシャ、クレタ島。
壁にもたれる降下猟兵。左の兵士はMP38とP-08、MP38と信号拳銃を所持した右の兵士はスカーフの模様も一致するため一つ上で掲載したイギリス兵捕虜写真の中央に写る人物と同一と思われる。1941年5~6月、ギリシャ、クレタ島。
MP38を所持する装甲部隊の上級軍曹。1938年後半から生産が開始されたMP38は装甲車輌の乗員に優先して配備された。1941年6月、ソビエト連邦、バルト三国。
浮桟橋を使い湿地帯を渡るドイツ兵。MP40はマガジンハウジングのリブが無く、安全装置の無いボルトが付いた初期型。1941年7月、ソビエト連邦。
フィルムカメラ、Kar98k、銃口部にMP38の部品を流用した極初期型MP40などを持つ従軍記者/PK写真レポーター、ヴィルヘルム・オットー・ヴァルツを写した写真。1941年7月17日、ソビエト連邦、ドニエストル川。
行軍の休憩中にMP38を分解清掃する兵士。1941年8月、ソビエト連邦/エストニア。
ジェプル川を渡河してきたソ連兵が川沿いの湿地帯でドイツ兵に捕らえられる。初期型のMP40はボルトハンドルがコッキングされ即座に射撃可能な状態にある。1941年9月2日。
装甲兵員輸送車(Sd.Kfz.250)の横に立つ二人の兵士。MP38はボルトが後退した安全位置にあり、写真左にはMG34の予備銃身ケースが写っている。1941年10月、ソビエト連邦北部。
冬の演習中、MP38と双眼鏡を持つ下士官。マガジンポーチはフタ止めベルトの先端に金属プレートの付いた初期型。1941年、ポーランド。
雪に覆われた森の中で国防軍将校と会話する第638歩兵連隊(フランス義勇兵)の兵士。MP40はマガジンハウジングにリブが無い初期型。1941年11月、中央ソビエト連邦。
雨の中、初期型MP40を装備し双眼鏡を覗く兵士。銃身基部には不用意なボルト後退による暴発を防ぐ安全ストラップ(写真は革製)が付いているが、ボルトハンドルとは接続されていない。この安全ストラップはMP38とMP40で多発した暴発対策の一つとして、1941年に発行された指示書によって暫定的に提示された。安全ストラップは工場で量産されたものではなく、MP40やKar98kのスリングなどを流用・加工し各部隊で製作された。1942年3~4月、ロシア。
冬季迷彩の服を着て双眼鏡で観測する兵士。マガジンはリブなしの初期型だがマガジンハウジングにはリブ加工が追加されている。初期型コッキングハンドルには安全ストラップが装着されている。1942年初頭、ソビエト連邦、ホルムの戦い。
リブなしマガジンハウジング、リブなしマガジン、金属製銃口カバー取り付け金具、初期型コッキングハンドルを持つ初期生産のMP40。1942年初頭、ソビエト連邦、ホルムの戦い。
丘の上に集う空軍野戦師団の兵士。写真左のMP40は冬季迷彩用の白い塗料が塗られている。1942年3~4月、ソビエト連邦。
写真キャプション「ソビエト戦線:ドネツ川の橋頭堡 - 暑い日の後の強い飲み物。PK記録:従軍記者 Kipper」
多数の兵士が休憩中で奥には3号突撃砲?らしき車輌や砲弾も見える。写真のタイトルは「水筒で酒を飲む兵士」。その兵士が肩に掛けているMP40はボルトを閉鎖位置で固定する革製バンドが付いており、安全装置が無い初期型ボルトを持ったMP40であることが分かる。1942年6月、ソビエト連邦。
スターリングラードの市街地戦。どちらもMP40 だが、写真右はマガジンハウジングにリブが無く、ボルトが前進位置にあるので射撃準備が整っていない。また写真右の兵士はマガジンに手をかけているが給弾不良の発生要因となるため、マガジンハウジングなどを保持して射撃することが呼びかけられていた。1942年夏、ソビエト連邦南部。
3号戦車の横で話し合う兵士。1942年夏の撮影だが、MP40のマガジンには弾詰まりを防ぐリブがある。このリブ追加は1942年3月に決定され、以降に生産されたMP40用マガジンにはリブが追加されている。写真に写るマガジンは極初期に生産されたリブ有と思われる。スターリングラード。
写真キャプション「スターリングラードのドイツ空軍兵士。完全に破壊されたスターリングラードの街路で空軍兵士らが地域の清掃に努めている。PK記録:従軍記者ロスコップ」
軽装備の空軍野戦師団兵士がMP40を構える。左手はマガジンハウジングの後方にあり中途半端な保持位置に見えるが、給弾不良を防ぐ持ち方として推奨されている。1942年10月、ソビエト連邦。
海軍砲兵が砂浜でMP40の射撃訓練を実施中。1942年、イギリス、チャネル諸島、ジャージー。
原野でソビエト兵を捕らえたドイツ兵。両手を上げた降参ポーズだが、MP40にはマガジンが付いておらず、やらせ写真と思われる。1942年頃、ソビエト連邦。
マガジン未装着のMP40を持つグロースドイッチュラントの下士官。銃口キャップの付いたMP40は中期生産型に見えるが、安全装置のない初期型ボルトハンドルが確認できる。1942年または1943年、ソビエト連邦。
兵士が地元住民にタバコを分け与えており、後方では地面を掘っている。初期型のMP40は銃口カバー付き。1942年または1943年、北アフリカ、チュニジア。
極初期型のMP40。暴発を防ぐ安全装置が無いボルトを装備したMP38と初期生産のMP40は1942年8月以降、安全装置付きボルトへの交換作業が順次実施されているが、このMP40は初期型ボルトのまま。1942年末または1943年初頭、ソビエト連邦、ボリソフカ付近。