■MP38 / MP40 1944~1945年
2級鉄十字章を身に着けMP40を持つ兵士。空いたエジェクションポートの奥には9×19㎜弾が見える。1944年1~2月、ソビエト連邦。
冬季迷彩のヘルメット、1級鉄十字章や白兵戦章を付けたベテランの伍長。MP40は安全装置付きボルトハンドルとなっており、銃身下部のバレルレストは紛失している。1944年1~2月、ソビエト連邦。
塹壕内でパンツァーシュレック(保護シールドが無い初期型)にロケット弾を装填中。M24型柄付手榴弾と共に置かれたMP40はシュタイヤー社で1943年以降に生産されたタイプに見える。トリガーガードの厚みがやや太くなり(ラージ・トリガーガードと呼ばれる)、1枚の鋼板をプレスして製作(これ以前のピストルグリップは2つのプレス部品を溶接)される。バレル固定ナットは2面カットの簡易型、樹脂製のバレルレストは欠損。1944年4~5月、イタリア。
打ち合わせに参加するドイツ兵。MP40は標準的な中期型。1944年5月11日、ルーマニア/モルドバ、ヤシー近郊。
草むらに身を隠しながら遠方の地形を観察する降下猟兵。MP40はバレル固定ナットが2面カットとなった中期以降の生産型。1944年6~7月、フランス。
介助されながら砲架を背負う降下猟兵。手前の兵士が持つMP40は銃身固定ナットが2面カットで中期以降の生産型。1944年6~7月、フランス、ノルマンディー。
ワルシャワ蜂起で第36SS武装擲弾兵師団を含む武装親衛隊の隊員が市街戦を展開している。MP40、Kar98k、チェコスロバキアのブルーノ造兵廠で生産された小銃・G.24(t)が確認でき、各銃は安全装置が掛かった状態にある。1944年8月頃、ポーランド、ワルシャワ。
写真キャプション「フランス北部、1944年8月末、前線に向かうドイツ国防軍の中隊記者。彼らは何日も連絡を取っていなかった仲間たちに最新の新聞を届ける。」
MP40にはゴム製の銃口カバーとKar98k用スリングが付いており、ボルトハンドルが少しだけ後退した位置で止まっている。1944年8月末、フランス。
リブありマガジンとゴム製銃口カバーの付いたMP38を持つ武装親衛隊の士官。掲載した2枚は背景が異なるが同一人物と思われる。1944年夏、フランス。
草むらに横たわって休憩する降下猟兵。MP40はシュタイヤー社で生産された末期型。バレル固定ナットは2面カット。1枚の鋼板からプレス加工されたピストルグリップはさらに生産性が向上した形状になっており、レシーバーとの接合も溶接となった(従来型はマイナスネジで固定)。またグリップ部品とレシーバーの接合を強化するため、レシーバーエンドと後部スリング通しの上面に金属プレートが溶接(赤矢印)された。1944年夏、フランス、ノルマンディー。
一つ上の掲載写真と同じ撮影。採石場の石の壁の前で休む3人の降下猟兵。このMP40もレシーバー後部上面に補強プレートが付いた後期型。1944年夏、フランス、ノルマンディー。
銃口キャップを付けたMP40を持つ降下猟兵。1944年9月、西部戦線。
戦闘後、捕虜となったイギリス兵を確認するドイツ兵。MP40はボルトハンドルが後退の安全位置にあり、折り畳みストックのパイプは変形して曲がっている。1944年9月、オランダ、アーネム/ニムヴェーゲン。
街角で撮影された降下猟兵。トリガーガードの厚みが増した後期型のグリップと2面カットのバレルナットを持つMP40。1944年、イタリア。
MP40を所持した空軍兵士が通行車輌(フィアット508 バリッラ)を検査する。1944年、イタリア、ミラノ近郊。
ノルマンディーの海岸線でMP40を構える降下猟兵。ボルトは前進位置にあり射撃状態ではない。1944年、フランス。
擬装を施したヘルメットと双眼鏡、MP40を持つルーマニア兵士。1944年、ルーマニア。
写真キャプション「避けられない終結を遅らせるために、ナチス一派は1944年10月18日、ファシスト最後の部隊である「国民突撃隊」に16歳から60歳の男性全員を総動員すると発表した。この写真は東プロイセンの国民突撃隊にいた16歳の少年。」
少年が持つMP40は2面カットのバレルナットから中期以降の生産型。1944年10月。
写真キャプション「1944年、ドイツ最後の部隊。グロースドイッチュラントの補充旅団が国民突撃隊の小隊長を訓練する。」
MP40の取り扱い・射撃訓練。MP40はスリングの摩耗もなく新品のように見える。1944年末。
撮影場所が不明の市街戦。MP40は2面カットのバレルナットでボルトはコッキングされた射撃位置、後方には火炎放射器を持った兵士が待機している。1945年。