■Mkb42 MP43 MP44 Stg44


歩兵突撃章や黒の戦傷章を付けた兵士が珍しいMkb42(H)を所持、旧来の短機関銃と同様のオープンボルト方式を採用しておりボルトハンドルは後退の射撃位置にある。7.92×33㎜弾を使用する新型小銃(Mkb = マシーネン・カラビナー)としてハーネル社が開発したMkb42(H)は競作となったワルサー社のMkb42(W)と共に1942年から実戦テストに投入、優れた火力と信頼性の高い確実な作動で前線の将兵から高い評価を得た。オープンボルトで命中率が悪かったMkb42(H)をクローズドボルト方式に改良し命中率を改善した銃がMP43/1につながる。1943年夏、ソビエト連邦。




Mkb42(H)を構える武装親衛隊の兵士。Mkb42(H)は過渡期の銃であるため生産数は約11,000挺と少ない。銃身の下には着剣装置が付いている(MP43以降は廃止)。エジェクションポートカバーが閉じているが射撃のボルト後退に連動して自動で開く。このカバーはMP43/MP44でも採用され、米軍のM16アサルトライフルにも引き継がれる。1943年9月、ソビエト連邦。






ラフェッテの横で監視する下士官が持つMP43/1はマガジンも含め白で塗装されており、2本のスリングが付いている。1944年1月または2月、ソ連。






山岳猟兵がそりに犬をつないでおり、銃口にゴムキャップが付いたMP43/1(銃身に段差がない)を担いでいる。1944年1月または2月、中央ソビエト連邦。






冬季迷彩を施したMP43/1を所持する山岳猟兵。1944年1月または2月、中央ソビエト連邦。






MP43/1やG.43を装備する山岳猟兵の部隊が丸太の橋を渡る。先頭を進む兵士は一つ上の写真と同一人物と思われる。1944年1月または2月、中央ソビエト連邦。






ケッテンクラートを使用した電話線の敷設作業。後席の兵士は冬季迷彩のMP43/1を持っており、ケッテンクラート後部のラックに収納されたKar98kも白く塗装されている。1944年2月または3月、中央ソビエト連邦。






水筒の水を飲む下士官の足元に銃口カバーと2本のスリングが付いたMP43/1が置かれている。写真左の兵士はG.43を所持。1944年春、ロシア。






ツェルトバーンを着用した兵士がMP43/MP44を所持しているがマガジンポーチはMP40用。配備された新型小銃で記念撮影、といったところであろうか。1944年7月20日頃。






小さな川の横で監視中の少尉。この写真では地面に置かれた銃がMP43/1またはMP43/44のどちらなのかは判別できないが、別カットの写真がありMP43/44であることが確認できる。銃には安全装置が掛かっており、セミ・フルオート射撃の切り替えボタンはセミオート側にセットされている。1944年夏。






射撃訓練場で小火器のデモンストレーションを見学する士官とイタリア戦線の司令官、アルベルト・ケッセルリンク元帥。テーブルに並ぶ銃は写真左から、MP43/1、シースベッヒャー付きKar98k、G.41、MP40、MG34、MG42。各銃の上に置かれた紙には諸元などの情報が書かれている。1944年、イタリア。






パイロット章や空軍前線飛行章と思われる勲章を付けた空軍パイロットの射撃。大型バットストック、リアサイト直下のZF41用マウント取り付けリブ、段差のないストレート形状の銃身、長い銃口リングから典型的なMP43/1を示している。ボルトとボルトキャリアはクロムメッキ仕様のようだ。1944年、イタリア。






納屋の前で休憩する武装親衛隊の兵士。銃はMP43/1だがリアサイトベースにZF41マウントの取り付けリブが無いタイプ。1944年、南ウクライナ。








歩兵学校での試験中に撮影された有名な写真。試験報告書にはこの銃が製造番号「918」のMP43/1と記載されているが、細部を見ると興味深い発見がある。MP43/1で見られるZF41マウント用のリブがリアサイト下に確認できるが、銃身中央に設けられた段差はMP43以降の特徴。銃口保護リングもMP43以降の短いタイプであるが量産型とは形状が異なっている。対物レンズ側にレインシールドが付いたZF4スコープが装着されているが7.92×57㎜弾と7.92×33㎜弾では弾道が異なるためそのままでは使用できない。ZF4は7.92×33㎜弾用に射撃距離の調整機構が改造された「P」刻印付きが存在しているようでこれが装着されている可能性もある。1943年または1944年。






写真キャプション「装甲擲弾兵師団「グロースドイッチュラント」の高速部隊による偵察ではシュビムワーゲンが不整地や水上移動用の車輌として使用されている。写真は森林地帯を偵察するフォルクスシュビムワーゲン。PK撮影:従軍記者 シュヴァーン 1944年11月15日。」

大戦末期の撮影であるが新車に近い状態の綺麗なシュビムワーゲンに運転手以外の3名全員がMP43/1を装備している。






写真キャプション「水上車輌であっても、シュビムワーゲンは完全武装の4人の兵士を簡単に運ぶことができる。PK撮影:従軍記者 シュヴァーン 1944年11月15日。」

手前のシュビムワーゲンは喫水線の位置から水上走行中ではなく上陸目前。助手席の下士官が持つMP43/1?の横にはMG42用の接続金具(Lager42)が付いた車載用銃架が見える。






写真キャプション「主戦線への敵の侵入は一掃されている。アーヘン周辺の前線の一部で、敵が主戦場へ侵入した。擲弾兵がすぐに到着し侵入者を片付ける。彼らは小銃を構え、森の開拓地を進んでいく。PK写真:戦争記者 Lohrer 1944年12月12日」

開けた土地で、適度に散開しながら進む擲弾兵。MP43/1またはMP43/44、Kar98k、パンツァーファウストなどが確認できる。




写真キャプション「アルデンヌ攻勢は西ヨーロッパの連合軍に対して1944年12月16日に開始された。初期の成功後、ドイツ軍は1945年1月末までに攻撃開始位置まで撤退する必要があった。ルクセンブルクの森にドイツ軍部隊が閉じ込められる。擲弾兵は木の陰から敵に発砲し突破を試みる。1944年12月22日撮影。PK撮影:ラングル」

雪に覆われた森の中でMP43/1またはMP43/44を構える兵士。






写真キャプションは途中まで一つ上の写真と同じ文章で書かれている。「アルデンヌ攻勢は西ヨーロッパの連合軍に対して1944年12月16日に開始された。初期の成功後、ドイツ軍は1945年1月末までに攻撃開始位置まで撤退する必要があった。ルクセンブルクの森にドイツ軍部隊が閉じ込められる。彼らは無線を介して自己の正しい位置を特定しようとしている。1944年12月22日撮影。PK撮影:ラングル」

写真左の兵士がMP43/1またはMP43/44を所持している。




もどる