■パンツァーシュレック その1


保護シールドが無く、極初期型のフロントサイトを持ったパンツァーシュレック。発射ガスから射手を守るため、ヘルメット、ガスマスク、手袋などを身に着けている。手前にはロケット弾を2発収納する運搬用木箱が写っており、「R Mun 4322」は8.8cm パンツァーシュレック用標準榴弾(対戦車用)を、「◯」は-40℃から+30℃の低温環境で使用する1943/44冬季用弾薬を示している。この弾薬は初速105m/s、有効射程150m、90度の命中角度で200㎜以上、60度で160㎜の装甲貫徹能力を持っている。1943年、ソビエト連邦。






射撃の都度、ガスマスクなどを装着するのが面倒なため、パンツァーシュレックが配備された部隊では発射ガスから射手を守るための保護シールドを取り付ける現地改造が確認できる。写真の極初期型パンツァーシュレックには円形の保護シールドが付いており、照準線の視界を確保する穴が設けられている。1943年または1944年初頭、ソビエト連邦。






初期型パンツァーシュレックで訓練を受ける兵士。1943年12月または1944年1月、ウクライナ。






弾頭の安全ピンを外し、ロケット弾を装填する。不鮮明だが弾頭側面には弾種を示す「4322」や弾頭に内蔵された炸薬の種類(ヘキソーゲンとTNTを6:4で混合)を示す「97」の数字が確認できる。後部の安定翼は色が暗く、端子付き木片が白いテープで固定されている。1944年1~2月、ソビエト連邦。






訓練場で射撃の実演を行う兵士。極初期型パンツァーシュレックに射手はガスマスクを付けているが、手袋は未着用。1枚目の写真でロケット弾を持つ兵士は弾頭の安全ピンを外しているところ。1944年春、フランス。




前項からの続き写真で、射撃直後の様子。ロケット弾運搬木箱が転がっており、側面の「◯」印から1943/44冬季用弾薬である。1944年春、フランス。








ドイツ国防軍の物資輸送カートとして幅広く使用されたIf.8(Infanterieanhänger)にパンツァーシュレック専用の木製ラックを装備、2台連結し馬で引いている。このラックによりカートの荷物積載部分を確保したまま6挺のパンツァーシュレックを運搬できる。パンツァーシュレックは2種類の本体色が混じっており、コッキングハンドルやトリガーだけが明るい色の個体も確認できる。またMP40を持つ下士官のパンツァーファウストも弾頭部のみ色が異なっている。1944年春、ウクライナ。




















極初期型パンツァーシュレックを使った射撃訓練。ガスマスクの装着からロケット弾装填、端子接続、射撃準備完了までの流れを撮影している。1944年春、ウクライナ。










雪の中で極初期型パンツァーシュレックを構える兵士。1枚目の写真ではロケット弾の装填手もガスマスクを装着しており、筒後部の接続ボックスは黒く見える。1944年3月、ソビエト連邦。




塹壕内で初期型パンツァーシュレックにロケット弾を装填する。1944年4~5月、イタリア。






対戦車兵器のデモンストレーションに参加したアドルフ・フリードリヒ・クンツェン大将。極初期型パンツァーシュレックには手作りの保護シールドが装備され、独特な迷彩塗装が施されている。1944年5月ころ、フランス、エトルタ近郊。








射撃訓練場でパンツァーシュレックの取り扱いを学ぶルーマニア兵士。後方には破壊されたSU-85自走砲が見える。ダークイエローで塗装された2つのパンツァーシュレックがあり、写真左下はトリガーとコッキングレバーが黒っぽく、兵士が持つパンツァーシュレックは本体と同色のようだ。1944年、ソビエト連邦南部、ルーマニア。










前項の掲載写真と同一の撮影。パンツァーシュレックは保護シールド付きでほぼ新品。ダークイエローよりも暗い色で塗装されたロケット弾は弾頭の黒っぽい信管や信管の安全ピン、後部にテープ止めされたケーブル端子などの詳細がよくわかる。また後部の安定フィンは本体よりも色が暗い。1944年、ソビエト連邦南部、ルーマニア。






こちらもルーマニア兵の射撃訓練。コッキングハンドルが後退位置にあるため、撃針はコッキングされている。ロケット弾は装填されているが、電気コードがつながる木製ブロックは未接続。パンツァーシュレック本体はフロントサイトの形状から極初期型となっており、保護シールドは後付けであることが推測できる。1944年、ソビエト連邦南部、ルーマニア。




建物の瓦礫の中に陣取り、パンツァーシュレックを構えるグロースドイッチュラント師団の兵士。1944年5~6月、ソビエト連邦。




写真のキャプション「ドイツの新型対戦車兵器、パンツァーシュレック。この防御兵器の様々な用途によって、敵装甲車輌の撃破率が高まる」

射撃の瞬間。装填手は顔を地面に向け、爆風から身を守っている。1944年6月。






射撃訓練を行う降下猟兵。射撃時の発射炎・爆風に加え、点火装置の残骸が30mの範囲で吹き飛ぶため、パンツァーシュレック後方の安全確保には十分に注意する。生産途中から追加された銃口保護バーは本来の取り付け位置よりも射手側へ移動している。1944年6月、フランス、ノルマンディー。




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