■パンツァーシュレック その2


戦車撃破章を付けた下士官が保護シールド付きパンツァーシュレックを構えている。リアサイトも左右調整が可能な中期型。1944年6月、フランス/ベルギー。




塹壕内で極初期型パンツァーシュレックを構える兵士。1944年6~7月、フランス、ラ・リュゼルヌ近郊。








建物の角から立射でパンツァーシュレックを構える兵士。スリングが2重に装着されている。1944年6~7月、フランス、ラ・リュゼルヌ近郊。




後方でMP40を構える兵士を基準にすると、手前の降下猟兵は前後逆にパンツァーシュレックを持っており、撮影状況がよくわからない写真。パンツァーシュレックはリアサイト形状から極初期または初期型で後部の接続ボックスは黒色。1944年6~7月、フランス。






田舎道で満載の荷物を運ぶロバとパイプをくわえる降下猟兵。木製ラックに極初期型パンツァーシュレックとロケット弾運搬木箱が置かれている。1944年6~7月、フランス、サン・ロー近郊。






塹壕でパンツァーシュレックと手榴弾を用意し対戦車戦闘に備える。保護シールドは現地製作品で、照準用の開口部は円形。1944年8月末、フランス北部。






パンツァーシュレックとロケット弾を運搬する降下猟兵。銃口保護バーの付いた中期以降の生産型であるが保護シールドは外れている。1944年夏、フランス。




かなり使い込まれたパンツァーシュレックを構える降下猟兵。発射筒は1,000回の射撃に耐える寿命を持っている。1944年夏、フランス、ノルマンディー。








射手・装填手ともに3つの戦車撃破章を付けたベテラン兵士。極初期型のフロントサイトから、保護シールドは後付け。コッキングハンドルが後方位置にあるので、撃針はコッキングされているが安全装置が掛かっており、この状態ではトリガーを引いても発射されない。1944年8~9月、ロシア北部。












保護シールドや銃口保護バーは付いているが本体はフロントサイト形状から極初期型。すでに前線へ配備されていたシールド無しの初期型パンツァーシュレックには改良キットが配布され、シールド付きへとアップグレードが実施された。装填中の弾薬は木箱側面の「○」印とロケットモータ部の「arkt」文字から1943/44冬季用弾薬。1944年8~9月、ロシア北部。




パンツァーシュレックを肩にかける空軍兵士。1944年9月、フランス。




保護シールド付きパンツァーシュレックを肩から下げ、シャベル?を担いでいる兵士。銃口保護バー(フロントサイトの下側)も確認できる。1944年、フランス、ビュール近郊。






パンツァーシュレックとスコップを持って歩く兵士の続き写真。草むらでタバコを吸いながら小休止する兵士たち。保護シールド付きパンツァーシュレックが少なくとも3挺、ロケット弾運搬用木箱も写っている。1944年、フランス、ビュール近郊。






パンツァーシュレックやMG42、シースベッヒャー2型付きKar98kなどを装備した兵士が街角で展開する様子をPK隊員が動画で撮影中。1943/44冬季用弾薬の木箱も2つ確認できる。1944年、イタリア、フィレンツェ。




弾薬中央のロケットモーター部の文字「arkt」は1943/44冬季用弾薬を示す。8.8cm パンツァーシュレック用標準榴弾(R Mun 4322)の塗装は1944年9月のドイツ陸軍の通達によれば、弾頭:フィールドグレイ、ロケットモーター部:パーカーライジング、後部安定翼:黒となっている。1944年、イタリア、ネットゥーノ近郊。








訓練場でパンツァーシュレックを射撃中。保護シールド付きながら射手は厚手の上着に手袋を着用しており発射ガスに備えている、半袖シャツ姿の見学者とは対照的。砲口保護バーは写真のように一脚として活用される場面が多い。1944年、ドイツ帝国領。






鹵獲した英軍のユニバーサル・キャリア(ブレンガン・キャリア)を改造、パンツァーファウスト6挺とパンツァーシュレック3挺、パンツァーシュレック用ロケット弾木箱12個を搭載し、車体前方機銃もMG42へ変更されている。ダークイエローを基本色とした3色迷彩、バルケンクロイツが表記されるなど完全なドイツ軍仕様となっている。

3つのパンツァーシュレックは極初期型フロントサイトに左右調整できる中期型以降のリアサイトが付いている。パンツァーファウストは30型。1944年、イタリア。




身長と同じくらい長いパンツァーシュレックを担ぐ兵士。保護シールドが無いパンツァーシュレックの重量は約9.5kgなのでMG34などの機関銃よりは軽い。1944年、フランス、ノルマンディー。




グロースドイッチュラント予備旅団、野外演習中の小休止。兵器に興味深々の子供たちが見学にやってきた場面。パンツァーシュレックの珍しいダミーモデル。1944年10月。






写真のキャプション「国民突撃隊員が整列する。パンツァーシュレックはパンツァーファウストと並び最も実績のある歩兵用対戦車兵器の一つであり戦車を狙う。」

パンツァーシュレックの保護シールドは右側をほとんどカバーしない。そのため手袋無しで射撃する場合、トリガーを操作する右手の位置には注意を払う。写真奥の車輌は1920年代後半にラインメタル社で6輌のみが生産された試作戦車・グローストラクトーア(Großtraktor)。1944年10月23日。




戦傷章、歩兵突撃章、鉄十字章などを付け、ロレーヌ防衛線でも活躍した歴戦の擲弾兵がパンツァーシュレックを持っている。1944年10月27日、ポツダム。




ラトビアの武装親衛隊志願兵に対してパンツァーシュレックの取り扱いを説明する。1944年11月、ベルリン。




パンツァーファウストとパンツァーシュレックで武装した国民突撃隊が宣誓を行っている。1944年11月、東プロイセン。




写真のキャプション「クールラントでの3回目の防衛戦後、ラトビアの親衛隊ボランティアは再び素晴らしい活躍を見せた。親衛隊ボランティアはパンツァーシュレックで訓練を行っている。これまでの戦闘で撃破され残骸となって横たわるソビエト軍戦車が彼らの標的となっている」 発行日:1945年1月10日、親衛隊従軍記者 エミジティス(Miezitis)のPK記録。

パンツァーシュレックを構えるラトビアの武装親衛隊志願兵。発射筒後部の接続ボックスにロケット弾から伸びるケーブルが接続されており、発射準備が整っているようだ。射手は女性に見える。




保護シールド付きパンツァーシュレックを携えた武装親衛隊の兵士がトラックから下車する。1945年2月、ポメラニア、ピュリッツ。






遮蔽物の無い開けた土地で蛸壺に入りパンツァーシュレックを構える国民突撃隊。この状況下、パンツァーシュレックの有効射程である150m以下まで敵戦車を引き付けられるのだろうか。保護シールド表側の3か所にある小さな取っ手状の金具は写真のように擬装用の草などを取り付けるためのもの。1945年4月、ベルリン、シュルツェンドルフ。




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