■SF14Z 砲隊鏡 その1
写真キャプション「ザクセン州ナウムブルク周辺地域。トウモロコシ畑の観測所にて、2台の測距儀を使用した第4師団、下士官と歩兵第10連隊の野戦演習。」
ガラス乾板を使用し、演習中の一コマを圧倒的な高解像度で記録した素晴らしい写真。手前にEM34(小型測距儀)を持った兵士がおり、後方ではSF14の対物レンズを横方向に広げた状態で使用している。1927年、ナウムブルク近郊。
第3騎兵師団と第6師団の集団演習。第2集団司令官、ヴァルター・ラインハルト将軍がSF14を覗いている。この写真もガラス乾板で解像度が高い。1927年9月、東ウェストファーレン州センネ地方。
第4師団の野戦演習。演習を見学する第4工兵大隊の将校、判定員と手前に観察用のSF14。背景には民間人も見学している。1927年、ザクセン州ナウムブルク周辺地域。
写真キャプション「フランクフルト・ア・オデールにおける帝国軍の大規模演習がフォン・ヒンデンブルク帝国大統領立ち合いの下で実施された。演習エリアの観測所にある砲隊鏡。」
石垣からSF14で観測する兵士。1932年9月。
写真キャプション「第三帝国における我らの帝国軍。ブランデンブルクで行われたドイツ国防軍最初の大規模な秋季演習。」「徴兵制を再導入するために!我が帝国軍よ。森の端ではSF14Zを装備した士官が歩兵の前進を監視している。」
1934年8月25日、ブランデンブルク。
演習中、双眼鏡で観測する歩兵連隊の兵士。対物レンズが横位置のSF14Zが自由雲台の付いた三脚(Gestell31)に載っている。1938年または1939年、シレジア。
ヒトラーやロンメル、マルティン・ボルマンなどの高官が戦況を視察中。2台のSF14Zは対物レンズが上と横それぞれの位置にセットされている。1939年9月、ポーランド戦線。
警察砲兵連隊の演習でSF14Zを使用中。1940年6月、ブランデンブルク。
アルベルト・ケッセルリンク航空兵大将、ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン将軍、ヴィクトル・フォン・シュヴェドラー将軍などが対空砲の射撃訓練を視察している。迷彩塗装が施されたフード付きSF14Zは角度計測盤を挟まずに3脚に載っており、3脚本体も明るい色で塗装されている様子。1940年、西部戦線。
演習でSF14Zを使用する歩兵連隊の兵士。3脚は2つのリング操作で複雑な角度調整ができるGestell31。1940年または1941年、フランス、ロレーヌ。
ロシア最古の修道院の一つで世界遺産にも含まれているユリエフ修道院の鐘塔に観測所を設け、南に位置するイリメニ湖方向をSF14Zで見る観測員。1941年8~9月、ソビエト連邦、ノヴゴロド。
ユリエフ修道院に設置されたSF14Zでイリメニ湖を見る。10ミルごとの方眼で区切られた独特のレティクル(Gitterplatte)が写っており、遠方の橋が見える地点までの距離は約1,700m。
レニングラード郊外で展開する警察師団の部隊。光学機器による観測結果を地図へ書き込んでいる。長いフードの付いたSF14Zの対物レンズ角度は45度前後になっているので、接眼レンズの目幅間隔は約80㎜。これでは幅が広すぎる(通常の目幅間隔は65mmほど)ため両眼で正しく像を捉えることができない。1941年8~9月、ソビエト連邦、東部戦線。
北方軍集団の司令官 ヴィルヘルム・フォン・レープ元帥と第18軍の最高司令官 ゲオルク・フォン・キュヒラー上級大将が前線の砲兵観測所を視察している。フード付きのSF14Zは枝葉で簡易に擬装されている。1941年10月。
装甲兵員輸送車?の車内で食事中の兵士。後方にはレティクル照明装置の乾電池収納ケース(上部のみ見える)とSF14Zを載せる角度計測盤が写っている。1941年、バルカン半島。
砂漠にあるテーブルマウンテンの高台にSF14Zが設置され、観測点を設営中。1942年4月、北アフリカ。
セヴァストポリ港の観測所でSF14Zを覗く。海岸の地図が置かれている。1942年5月、ソビエト連邦、ウクライナ。
第10海軍戦争記者中隊の映画記者として多くの宣伝動画を残したホルスト・グルント(Horst Grund)が望遠レンズの付いたアスカニアZ(35㎜ムービーカメラ)を構え、その横で兵士がSF14Zを覗いている。1942年7月頃、ソビエト連邦、クリミア、セヴァストポリ。