■SF14Z 砲隊鏡


写真キャプション「第三帝国における我らの帝国軍。ブランデンブルクで行われたドイツ国防軍最初の大規模な秋季演習。」「徴兵制を再導入するために!我が帝国軍よ。森の端ではSF14Zを装備した士官が歩兵の前進を監視している。」

1934年8月25日、ブランデンブルク。




演習中、双眼鏡で観測する歩兵連隊の兵士。対物レンズが横位置のSF14Zが自由雲台の付いた三脚(Gestell31)に載っている。1938年または1939年、シレジア。




ヒトラーやロンメル、マルティン・ボルマンなどの高官が戦況を視察中。2台のSF14Zは対物レンズが上と横それぞれの位置にセットされている。1939年9月、ポーランド戦線。




警察砲兵連隊の演習でSF14Zを使用中。1940年6月、ブランデンブルク。




アルベルト・ケッセルリンク航空兵大将、ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン将軍、ヴィクトル・フォン・シュヴェドラー将軍などが対空砲の射撃訓練を視察している。迷彩塗装が施されたフード付きSF14Zは角度計測盤を挟まずに3脚に載っており、3脚本体も明るい色で塗装されている様子。1940年、西部戦線。








演習でSF14Zを使用する歩兵連隊の兵士。3脚は2つのリング操作で複雑な角度調整ができるGestell31。1940年または1941年、フランス、ロレーヌ。












ロシア最古の修道院の一つで世界遺産にも含まれているユリエフ修道院の鐘塔に観測所を設け、南に位置するイリメニ湖方向をSF14Zで見る観測員。1941年8~9月、ソビエト連邦、ノヴゴロド。




ユリエフ修道院に設置されたSF14Zでイリメニ湖を見る。10ミルごとの方眼で区切られた独特のレティクル(Gitterplatte)が写っており、遠方の橋が見える地点までの距離は約1,700m。






レニングラード郊外で展開する警察師団の部隊。光学機器による観測結果を地図へ書き込んでいる。長いフードの付いたSF14Zの対物レンズ角度は45度前後になっているので、接眼レンズの目幅間隔は約80㎜。これでは幅が広すぎる(通常の目幅間隔は65mmほど)ため両眼で正しく像を捉えることができない。1941年8~9月、ソビエト連邦、東部戦線。






北方軍集団の司令官 ヴィルヘルム・フォン・レープ元帥と第18軍の最高司令官 ゲオルク・フォン・キュヒラー上級大将が前線の砲兵観測所を視察している。フード付きのSF14Zは枝葉で簡易に擬装されている。1941年10月。






装甲兵員輸送車?の車内で食事中の兵士。後方にはレティクル照明装置の乾電池収納ケース(上部のみ見える)とSF14Zを載せる角度計測盤が写っている。1941年、バルカン半島。




砂漠にあるテーブルマウンテンの高台にSF14Zが設置され、観測点を設営中。1942年4月、北アフリカ。




セヴァストポリ港の観測所でSF14Zを覗く。海岸の地図が置かれている。1942年5月、ソビエト連邦、ウクライナ。






第10海軍戦争記者中隊の映画記者として多くの宣伝動画を残したホルスト・グルント(Horst Grund)が望遠レンズの付いたアスカニアZ(35㎜ムービーカメラ)を構え、その横で兵士がSF14Zを覗いている。1942年7月頃、ソビエト連邦、クリミア、セヴァストポリ。




ダムの後方地域で監視を行う歩兵部隊。横位置のSF14Zが設置されている。1942年夏、ソビエト連邦、スターリングラード。




前線の指揮所で監視を行うドイツ陸軍司令官。SF14Zを覗くのはフリードリヒ・パウルス将軍、その左はヴァルター・フォン・ザイトリッツ=クルツバッハ砲兵大将。1942年9月19日、ソビエト連邦、スターリングラードの戦い。




塹壕内でSF14Zを覗くヘルマン・ホト将軍。1942年9月、ソビエト連邦南部。






ハインリヒ・ヒムラーと親衛隊将校が前線を視察。右手で保持しているダイヤルを操作するとSF14Zが左右へ回転する。1942年9~10月、ロシア。




沿岸のトーチカ内に設置されたフード付きSF14Z。通常とは異なる形状のマウントに載っている。1942年、大西洋の壁。




枯草を巻きつけ擬装したSF14Zを覗く兵士。1942または1943年、北アフリカ、チュニジア。








遠方が見渡せる丘に設置された迷彩塗装のSF14Z。対物レンズを横へ開くと両眼の視差が大きくなり、立体感ある(前後の距離感がつかみやすい)像が得られる。1942または1943年、北アフリカ、チュニジア。












擬装されたSF14Zの先には地平線まで見渡せる北アフリカの大地が広がる。前後の写真からこのSF14Zは15cm sIG 33(重歩兵砲)の着弾観測を行っている。1942または1943年、北アフリカ、チュニジア。




3号突撃砲の車長ハッチに装備されたSF14Z。ジャーマングレイの上から冬季迷彩の白に塗装されている。SF14Zは突撃砲や駆逐戦車などにも幅広く装備され、車載用観測機器としても活躍した。1943年4~5月、中央ロシア、スモレンスク。




夜間、自軍の砲撃地点をSF14Zで観測する中尉。3脚は2本の脚を水平に近い変則的な角度に設定して使用。手前の兵士はFF33野戦電話で通信している。1943年、ソビエト連邦。




将校がいる蛸壺の前方にSF14Zが設置されている。FF33野戦電話は閉じたフタ(ゴミや埃から内部を守るため使用時はフタを閉じるのが基本)の上に受話器が置かれ、通信の質を向上させる専用のアース棒(Erdstecker)も地面に刺さっている。1943年6~7月、中央ソビエト。






念入りに擬装された装甲兵員輸送車にSF14Zが装備されている。兵士が覗いている双眼鏡(Dienstglas 10×50)の倍率はSF14Zと同じ10倍で視野はやや広い。1943年、南フランス。




突撃砲の車内でSF14Zを覗く車長。1943年12月、ソビエト連邦(ウクライナ)。






茂みに中に設置されたSF14Zを覗く降下猟兵の砲兵観測員。3脚はGestell 31(リング調整型)。1944年初頭、イタリア、モンテ・カッシーノ。




演習中の第12 SS装甲師団「ヒットラーユーゲント」の装甲兵員輸送車に装備されたSF14Z。後方には視察に訪れたゲルト・フォン・ルントシュテット元帥の一団が写っている。1944年3月、ベルギー。






装甲兵員輸送車(Sd.Kfz.250/5 Ausf.B)のSF14Zを覗く中尉。両方のペリスコープ筒が真上位置にあるので接眼レンズの間隔は57㎜になっている。そのため、目の間隔が狭いかなり小顔の兵士、または目幅調整を行っていない状態で見ていることが想像できる。1944年3~4月、中央ソビエト連邦。




装甲擲弾兵師団「グロースドイッチュラント」の少尉がSF14Zで観測中。1944年5~6月、ソビエト連邦南部(ウクライナ)。






ルーマニアからハンガリーへ撤退するパンサーA型戦車。車長がSF14Zを手持で覗いているがレンズの開き具合が大きく、接眼レンズと目幅はおそらく合っていない。1944年8~9月、東部戦線。




遠方まで望める建物の屋上で地図を広げ打ち合わせを行う将校。写真の砲隊鏡はSF14Zよりも古いSF14Gで、1910年代後半に生産されている。3脚は1940年頃に採用されたGestell 40だが、この3脚が写った写真は少ない。1943~1944年頃、北フランス。






冬季迷彩が施された3号突撃砲のキューポラから双眼鏡(Dienstglas 10×50)を覗く車長。SF14Zの対物レンズが見える。手前に配置された単眼の対物レンズは倍率5倍の潜望鏡(Sfl.Zf1a)。1944年12~1月、ソビエト連邦(ウクライナ)、ニコポル橋頭堡。




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