■SF14Z 砲隊鏡 その2
写真キャプション「ヴァルダイ丘陵の武装親衛隊砲兵隊。前方観測所での観測結果は射撃指揮所に無線で送信される。SS-PK写真:従軍記者 Adendorf 1942年8月」
擬装した観測所に設置されたSF14Zで状況を確認中。ヘッドホンを付けた兵士が無線機を操作している。写真中央下に置かれた野戦電話(FF33)は無線機に接続すれば電話音声を無線で送ることができる。ソビエト連邦。
ダムの後方地域で監視を行う歩兵部隊。横位置のSF14Zが設置されている。1942年夏、ソビエト連邦、スターリングラード。
前線の指揮所で監視を行うドイツ陸軍司令官。SF14Zを覗くのはフリードリヒ・パウルス将軍、その左はヴァルター・フォン・ザイトリッツ=クルツバッハ砲兵大将。1942年9月19日、ソビエト連邦、スターリングラードの戦い。
塹壕内でSF14Zを覗くヘルマン・ホト将軍。1942年9月、ソビエト連邦南部。
ハインリヒ・ヒムラーと親衛隊将校が前線を視察。右手で保持しているダイヤルを操作するとSF14Zが左右へ回転する。1942年9~10月、ロシア。
沿岸のトーチカ内に設置されたフード付きSF14Z。通常とは異なる形状のマウントに載っている。1942年、大西洋の壁。
枯草を巻きつけ擬装したSF14Zを覗く兵士。1942または1943年、北アフリカ、チュニジア。
遠方が見渡せる丘に設置された迷彩塗装のSF14Z。対物レンズを横へ開くと両眼の視差が大きくなり、立体感ある(前後の距離感がつかみやすい)像が得られる。1942または1943年、北アフリカ、チュニジア。
擬装されたSF14Zの先には地平線まで見渡せる北アフリカの大地が広がる。前後の写真からこのSF14Zは15cm sIG 33(重歩兵砲)の着弾観測を行っている。1942または1943年、北アフリカ、チュニジア。
3号突撃砲の車長ハッチに装備されたSF14Z。ジャーマングレイの上から冬季迷彩の白に塗装されている。SF14Zは突撃砲や駆逐戦車などにも幅広く装備され、車載用観測機器としても活躍した。1943年4~5月、中央ロシア、スモレンスク。
夜間、自軍の砲撃地点をSF14Zで観測する中尉。3脚は2本の脚を水平に近い変則的な角度に設定して使用。手前の兵士はFF33野戦電話で通信している。1943年、ソビエト連邦。
将校がいる蛸壺の前方にSF14Zが設置されている。FF33野戦電話は閉じたフタ(ゴミや埃から内部を守るため使用時はフタを閉じるのが基本)の上に受話器が置かれ、通信の質を向上させる専用のアース棒(Erdstecker)も地面に刺さっている。1943年6~7月、中央ソビエト。
念入りに擬装された装甲兵員輸送車にSF14Zが装備されている。兵士が覗いている双眼鏡(Dienstglas 10×50)の倍率はSF14Zと同じ10倍で視野はやや広い。1943年、南フランス。
突撃砲の車内でSF14Zを覗く車長。1943年12月、ソビエト連邦(ウクライナ)。
茂みに中に設置されたSF14Zを覗く降下猟兵の砲兵観測員。3脚はGestell 31(リング調整型)。1944年初頭、イタリア、モンテ・カッシーノ。
演習中の第12 SS装甲師団「ヒットラーユーゲント」の装甲兵員輸送車に装備されたSF14Z。後方には視察に訪れたゲルト・フォン・ルントシュテット元帥の一団が写っている。1944年3月、ベルギー。
装甲兵員輸送車(Sd.Kfz.250/5 Ausf.B)のSF14Zを覗く中尉。両方のペリスコープ筒が真上位置にあるので接眼レンズの間隔は57㎜になっている。そのため、目の間隔が狭いかなり小顔の兵士、または目幅調整を行っていない状態で見ていることが想像できる。1944年3~4月、中央ソビエト連邦。
装甲擲弾兵師団「グロースドイッチュラント」の少尉がSF14Zで観測中。1944年5~6月、ソビエト連邦南部(ウクライナ)。
ルーマニアからハンガリーへ撤退するパンサーA型戦車。車長がSF14Zを手持で覗いているがレンズの開き具合が大きく、接眼レンズと目幅はおそらく合っていない。1944年8~9月、東部戦線。
遠方まで望める建物の屋上で地図を広げ打ち合わせを行う将校。写真の砲隊鏡はSF14Zよりも古いSF14Gで、1910年代後半に生産されている。3脚は1940年頃に採用されたGestell 40だが、この3脚が写った写真は少ない。1943~1944年頃、北フランス。
冬季迷彩が施された3号突撃砲のキューポラから双眼鏡(Dienstglas 10×50)を覗く車長。SF14Zの対物レンズが見える。手前に配置された単眼の対物レンズは倍率5倍の潜望鏡(Sfl.Zf1a)。1944年12~1月、ソビエト連邦(ウクライナ)、ニコポル橋頭堡。