8mmマウザー弾(7.92×57mm) / Patrone 7.92mm
1888年にドイツ帝国で採用されたボルトアクションライフル Gewehr 88の使用弾として開発された7.92×57mmI(※Infanterie 歩兵の意味)は Patrone 88 と呼ばれ、この弾薬は大量の備蓄在庫を処理するために1898年にモーゼルが開発した新型小銃 Gew98の弾薬としても使用される。
※ Gewehr 88
1905年に7.92×57mmI(Patrone 88)を原型として改良された弾薬が7.92×57mmIS(※Infanterie Spitzgeschoss 歩兵・尖頭の意味)、別名 S Patrone であり、これが現在 8mmマウザー弾と呼ばれる弾薬である。7.92×57mmIからの主な改良点は、弾頭形状の尖鋭化、弾丸径を8.1mmから8.2mmへ、弾頭重量は14.7gから10.0gへ軽量化、発射薬の変更であり、弾道の低伸性と有効射程距離の向上が図られた。これ以前の小銃用弾薬に使用される弾頭は丸みを帯びた形状が一般的であり、尖った弾頭形状の採用は画期的な出来事だった。
その後、さらなる改良が施された7.92×57mm s.S.(※schweres Spitzgeschoss 重・尖頭の意味)が登場。弾頭の重量は10.0gから12.8gへ増加、3.05gから2.85gへ減少した装薬量により、初速が895m/sから785m/s(射撃する銃がGew.98の場合、Kar98kでは755m/s)へと12%ほど低下するものの、射距離300~400mあたりで弾速がほぼ同じ、射距離700メートルでは122%となり遠距離における存速性能が向上している。
第二次大戦中に使用された7.92×57mm弾は真鍮製や鉄製の薬莢、通常弾・徹甲弾・軽量弾・曳光弾・練習弾などの弾頭の種類、曳光剤の色や発光の明るさ、熱帯用や強装弾など使用目的に応じてさまざまな種類が生産された。これら弾薬は最前線の兵士に届く15発入りの紙箱にあるラベルを見ることで弾種の識別ができるほか、弾頭、薬莢、雷管などの各部に施された印からもある程度の識別が可能となっている。
7.92×57mm弾は第二次大戦のドイツ軍の小銃/機関銃弾として幅広く使用された。1939年末時点でのドイツ軍の7.92×57㎜弾の在庫数は約70億発、1940年から1944年末の5年間で120億発近い数量が生産されているため、合計すると190億発になる。資源の枯渇を回避しながら大戦末期に至るまで膨大な数量を生産し、全戦域への円滑な供給が続けられた。
■Patrone 88
現在でも使用されている8mmマウザー弾の原点となるGewehr 88用の弾薬。真鍮製薬莢。先頭が丸く銅ニッケルで覆われた弾頭色はシルバー、鉛95%とアンチモン5%で構成された弾芯を持ち、弾頭底部に製造メーカーが刻印されている。
弾頭重量14.7g
装薬量2.55g(2.75gとする資料もあり)
初速640m/s
■S Patrone / Spitzgeschoss Patrone
尖頭弾。真鍮製薬莢のみ。薬莢底部の雷管周りが黒色。Patrone 88をベースに大幅な改良が加えられ1903年4月に導入、第一次大戦の通常弾として使用。初期は弾頭がシルバー(銅ニッケルのジャケット)だったが、ニッケルは銃身が汚れやすく、機関銃の登場により汚れの問題が顕著になったことから、1916年以降は銅と亜鉛の合金(Tombak jacket)に変更された。この弾薬は薬莢底部に4本の放射状の線が打たれている。1934年には生産が中止され、1939年以降はドイツ国防軍の訓練用弾薬として使用された。
弾薬重量23.9g
弾頭重量10g
弾頭全長28-28.3mm
装薬量3.05g(Gew.Bl.P.)
初速895m/s
■s.S. Patrone / schweres Spitzgeschoss Patrone
重尖頭弾。真鍮製薬莢と鉄製薬莢。薬莢底部の雷管周りが緑色(1918年頃の初期生産品は黒色)。S Patrone の改良型。1914年に導入されたこの弾薬は航空機での使用に限られ、陸軍の歩兵部隊が使用を開始したのは第一次大戦の後半となる1918年から。MG08用の主に間接射撃で使用され、遠距離での威力が向上した。その後、1920年代にドイツ軍の小銃/機関銃の標準弾として採用された。
弾薬重量26.23g(真鍮製薬莢)・26.7g(鉄製薬莢)
弾頭重量12.8g
弾頭全長35.3mm
装薬量2.85g(Nz.Gew.Bl.P./真鍮製薬莢)・2.75g(Nz.Gew.Bl.P./鉄製薬莢)
初速755m/s
■S.m.k. / Spitzgeschoss mit Stahlkern
尖頭弾鋼鉄弾芯(徹甲弾)。真鍮製薬莢と鉄製薬莢。薬莢底部の雷管周りが赤色。弾頭の長さや弾芯形状に複数のバリエーションがある。第一次大戦中のS.m.k.は弾芯に高炭素タングステン鋼(タングステン3~4%、炭素1.1%、微量のマンガン)を使用していたが、第二次大戦中のS.m.k.は普通の炭素鋼を熱処理によって硬化(ロックウェルC60程度)させた弾芯を使用。S.m.k.は大戦後半に向けて生産が大幅に削減、または生産中止となった可能性が高い。
弾薬重量25g(真鍮製薬莢)・25.45g(鉄製薬莢)
弾頭重量11.55g
弾頭全長37.3mm
装薬量2.9g(Nz.Gew.Bl.P./真鍮製薬莢)・2.8g(Nz.Gew.Bl.P./鉄製薬莢)
初速765m/s
射撃距離100mにおいて90度の装甲板(種類不明)を11mm、60度の傾斜で6mmを貫徹。
■主要弾薬の性能比較
1943年に発行されたドイツ秩序警察の兵器マニュアル(WAFFEN-UND SCHIESSTECHNISCHER LEITFADEN FÜR DIE ORDNUNGSPOLIZEI)に掲載された主要弾薬5種類のデータを紹介。表右側のPistolen patronen 08は拳銃(P08)と短機関銃(MP)それぞれの射撃データを掲載している。
以下、3つのリストに続く。
各射撃距離における弾頭の飛翔時間。
各射撃距離における弾頭の速度。
※ s.S. と S.m.K の初速はGewehr 98での射撃データ
各射撃距離における弾頭の運動エネルギー。 s.S.弾は距離2,000m前後でも9㎜拳銃弾のゼロ距離射撃に匹敵する運動エネルギーを有しており、既存小銃弾薬と比較しても遠距離における優位性が目立つ。
※オリジナルのマニュアルはジュール(J)とは異なる単位(mkg)の数値が掲載されていたため、弾速と弾頭重量から再計算した数字を掲載しています。
■I.S. / Ieichtes Spitzgeschoss
軽量尖頭弾。真鍮製薬莢と鉄製薬莢。薬莢底部に5mm幅の緑帯。1937年1月に導入。弾芯にアルミニウムを採用し弾頭重量を通常弾(s.S.)の半分以下とした弾薬。発射後、運動エネルギーが早期に失われるため射程距離が短くなり、射撃地域の安全領域が拡大する。これらの特徴から空対空・地対空の射撃訓練、ドイツ陸軍でも射撃訓練弾として使用された。1941年以降は希少資源であるアルミニウムを節約するためと、後継となる自己爆発機能を持つ練習弾(S.m.k.UB.m.z.)の登場により生産は縮小された。
弾薬重量19.12g(真鍮製薬莢)・19.55g(鉄製薬莢)
弾頭重量5.55g
弾頭全長37.3mm
装薬量3g(Nz.Gew.Bl.P./真鍮製薬莢)・2.85g(Nz.Gew.Bl.P./鉄製薬莢)
初速925m/s
■S.m.k.L'spur /
Spitzgeschoss mit Stahlkern und Leuchtspur
尖頭弾鋼鉄弾芯(徹甲弾)昼間用曳光弾。真鍮製薬莢と鉄製薬莢。弾頭先端1cmの範囲が黒色、薬莢底部の雷管周りが赤色。薬莢底部に「K67」という刻印が打たれている個体もある。ドイツ最初の曳光弾は1916年にベルリンのA.G.A.社で開発された。これは「S.m.k.L'spur (A) 」と呼ばれ、曳光剤が光るのではなく、弾頭から生じる煙によって弾道を確認する(微弱な黄色の光を発していた可能性もあり)方式だったようだが詳細は不明。予期せぬ爆発を引き起こすなど安全性に問題があった。その後、曳光剤が十分に視認可能な程度に光る曳光弾がエッセンのGoldschmitt社で開発。1917年2月に採用された「S.m.k.L'spur (TH) 」は赤の曳光色で曳光距離は300~400mだったが、さらなる改良によって曳光距離は2倍以上となる900mまで伸びている。これらの弾薬は主に航空機用として使用された。
弾薬重量23.47g(真鍮製薬莢)・23.95g(鉄製薬莢)
弾頭重量10g
弾頭全長37.3mm
装薬量2.9g(Nz.Gew.Bl.P./真鍮製薬莢)・2.75g(Nz.Gew.Bl.P./鉄製薬莢)
初速830m/s
鋼鉄弾芯(タングステン2~3%、炭素1.25%)
点火剤(過マンガン酸カリウムと鉄粉)
赤色曳光剤(マグネシウム13%、アルミニウム3%、硝酸ストロンチウム73%、鉄6%、樹脂5%)
■S.m.k.Gl'spur /
Spitzgeschoss mit Stahlkern und Glimmspur
尖頭弾鋼鉄弾芯(徹甲弾)夜間用曳光弾。真鍮製薬莢と鉄製薬莢。弾頭先端5mmの範囲が黒色、薬莢底部の雷管周りが赤色。通常は真鍮製薬莢で底部に「edq」の刻印がある。ドイツ空軍向けに限定的に生産された比較的珍しい弾種との事なのでドイツ陸軍では使用されていないと思われる。曳光距離は0~700m。発光が弱く夜間作戦用。航空機用の固定武装として使用された7.92mm MG17機関銃では残弾50発のところにS.m.k.Gl'spurが10発装填されており、パイロットに弾切れ間近であることを知らせる目的でも使用されている。
弾薬重量23.82g(真鍮製薬莢)・24.3g(鉄製薬莢)
弾頭重量10.35g
弾頭全長37.3mm
装薬量2.9g(Nz.Gew.Bl.P./真鍮製薬莢)・2.85g(Nz.Gew.Bl.P./鉄製薬莢)
初速770m/s
射撃距離100mで90度の装甲板を7.5mm、60度の傾斜で6mmを貫徹。
S.m.k.L'spur または S.m.k.Gl'spur (真鍮製薬莢) のカットモデル。弾頭を構成する各部を紹介
◯ジャケット
銅(82~90%)と亜鉛(10~18%)を含む銅合金で弾頭の外側を覆う。
◯スリーブ
ジャケットと中央の弾芯部の間に生じる空間には鉛(98%)にアンチモン(2%)を加えた鉛合金(硬鉛)が充填されている。
◯弾芯
中央には長さ16㎜、直径6㎜の鉄製弾芯が収まる。
◯曳光剤
弾芯の後方、銅合金の筒には曳光剤が充填される。曳光色と明るさの組み合わせによって曳光剤は様々な種類がある。
◯樹脂製のフタ
薬莢内の発射薬に含まれる水分から曳光剤を保護・密閉するため塩化ビニール製のフタが曳光剤ケース底部に取り付けられる。
◯金属製ディスク
弾頭底部に配置されたドーナツ型の円形ディスク。スチールやマグネシウム合金製。燃焼した曳光剤を効率的に弾丸後部へ流す効果がある。
■S.m.k.Gl'spur 100-600 /
Spitzgeschoss mit Stahlkern und Glimmspur 100 bis 600m
尖頭弾鋼鉄弾芯(徹甲弾)夜間用100-600m曳光弾。弾頭先端1cmの範囲が黒色、薬莢底部の雷管周りが赤色(※紙箱から取り出すとS.m.k.L'spurとの識別が困難になる)。当時のドイツ軍で標準的に使用されていた明るい曳光弾の代替として1940年頃に導入された。射撃後、0~100mまでは薄暗く発光し、100~600m間は明るく光る。この弾薬の利点は夜間時に射手の目くらましを軽減させ、発砲位置を不明瞭にできる。
弾頭重量10g
弾頭全長37.3mm
装薬量2.9g
初速790m/s
射撃距離100mで90度の装甲板を7.5mm、60度の傾斜で6mmを貫徹。
■I.S.L'spur / Ieichtes Spitzgeschoss mit Leuchtspur
軽量尖頭弾曳光弾。真鍮製薬莢と鉄製薬莢。弾頭先端1cmの範囲が黒色、薬莢底部に5mm幅の緑帯。
弾薬重量19.58g(真鍮製薬莢)・19.95g(鉄製薬莢)
弾頭重量6.05g
弾頭全長37.3mm
装薬量3g(Nz.Gew.Bl.P./真鍮製薬莢)・2.8g(Nz.Gew.Bl.P./鉄製薬莢)
初速925m/s
曳光距離800m
曳光色は黄色
■曳光弾に関する補足
◯曳光剤の明るさ 3段階
Leuchtspur : 昼間用に適した標準の曳光弾。最も明るい。
Glimmspur : ドイツ空軍の夜間作戦用で中間の明るさ。曳光色は淡い赤色で、日中では視認できないと報告されている。
Dunkelspur : Glimmspurよりもさらに暗い曳光弾。かすかな光を放ち、バースト射撃時のみに視認できる程度の明るさ。実際に大量生産されたかどうかは分からず、7.92㎜弾には採用されていない可能性がある。
◯曳光色 5色
Gelb 黄
青い空を背景にした場合、最も視認性が高い色。黄色の曳光弾はドイツ陸軍の研究所があったクンマースドルフ実験場での射撃試験からも良好な結果が示され、ドイツ空軍で使用された13mm機関銃用弾薬の曳光弾は黄のみが使用された。
Grün 緑
わずかでも霧が発生していると、この色の曳光弾を追跡確認するのが困難であるためほとんど使用されていない。
Orange オレンジ
黄と赤の中間の特徴を持ち、広範囲で使用された。
Rot 赤
第二次大戦後半、様々な条件下で最も曳光弾に適した色であるとされた。夜間発砲時の目くらましが最も少ない。赤の決定的な優位性にも関わらず、黄、オレンジ、白の曳光弾は製造が続いた。
Weiss 白
黄や赤の曳光弾を使用する武器との発砲を区別する目的で使われた。日中での視認性は黄や赤に比べて劣る。実際の発光色は緑がかった白。
◯点火剤
ドイツ軍の点火剤は表面がワッフルのような凹凸型になっており、表面積を増やして隣接する曳光剤の点火をより確実に行う工夫が施されている。点火剤も曳光剤と同様に昼間用の明るいもの、夜間の目くらましを防止する暗いタイプなど複数の種類がある。
■S.m.k.ÜB.m.z. /
Spitzgeschoss mit Stahlkern - Übungsmunition mit Zerleger
自己破壊尖頭弾鋼鉄弾芯練習弾。真鍮製薬莢と鉄製薬莢。弾頭先端2cmの範囲が黒、薬莢底部の雷管周りが緑色。弾頭内部に少量の爆薬を含み射撃後一定時間を経ると空中で爆発する。自爆により射程距離を通常の5,000mから2,000mへ短縮できた。既に使用されていたアルミ製弾芯の練習弾(I.S. )に代わり、演習場の安全領域をさらに拡大できる弾薬として期待され1941年から1942年前半頃に導入された。しかし発射された弾頭の3%が自爆せず、演習場の安全地域外への着弾、爆薬を含む危険な不発弾が地面に埋まるなどの問題を引き起こし、少量の生産に留まった。昼間用曳光弾(S.m.k.L'spur.UB.m.z.)なども生産された。
弾薬重量23.47g(真鍮製薬莢)・23.97g(鉄製薬莢)
弾頭重量10g
弾頭全長37.3mm
装薬量2.9g(Nz.Gew.Bl.P./真鍮製薬莢)・2.85g(Nz.Gew.Bl.P./鉄製薬莢)
初速790m/s
■S.m.k.H. / Spitzgeschoss mit Stahlkern - Gehärtet
尖頭弾タングステンカーバイド弾芯。1940年までは弾頭のジャケットが削り出し、薬莢底部の雷管周りが赤色。1940年以降は弾頭全体が黒色、薬莢底部の雷管周りが赤色。ドイツ陸軍向けに開発され1936年から1937年頃に導入された。弾芯には重くて硬いタングステンカーバイドを使い、3.6gという安全に射撃可能な範囲で最大限の装薬量とした本弾薬は7.92×57mm弾としては最高クラスの貫徹力を誇る。大量生産はされず、1942年3月に生産は終了。
弾薬の使用に関する通達には下記の内容が書かれている。
・弾薬は戦車に対してのみ使用する。
・最大150mの射撃距離に対してのみ有効な性能を発揮する。
・弾薬の生産は限られており、コストが高く、困難を伴う。弾薬は非常に限定的な使用に限られる。
・歩兵の場合、5発クリップに赤色の識別マークを付ける必要があり、弾薬の使用は戦車の攻撃時に限る。射撃後は通常弾に切り替える。
・機関銃の場合も戦車への攻撃のみ、4~6発程度の短いバースト射撃に限る。これ以上の長いバースト射撃では強い反動で機関銃が破損する可能性がある。
・S.m.k.H.が収納された機関銃用の弾薬箱には識別のため赤いマークを付ける。
弾頭重量12.6g
弾頭全長28.3mm
装薬量3.6g
初速850m/s
射撃距離100mで90度の装甲板を18~19mm、30度の傾斜で13.5mmを貫徹。
■P.m.k. / Phosphor - Geschoss mit Stahlkern
鋼鉄弾芯リン弾(焼夷弾)。真鍮製薬莢と鉄製薬莢。初期は薬莢底部に5mm幅の赤帯、中期は薬莢底部の雷管周りが赤色、後期は薬莢底部の雷管周りが黒色と時期によって変化する。1917年2月、弾頭に強力な焼夷効果を持つリンを内蔵した焼夷弾(S.Pr)が開発された。弾頭中央にリンが配置され、その側面には1ヵ所穴が開いている。この穴は低融点合金(ビスマス50%、鉛25%、スズ25%)によって塞がれており、発射時の銃身との摩擦熱によって合金が溶け、リンが空気中の酸素に接触することで燃焼する。この弾薬は非常に燃えやすく、防弾が無い黎明期の航空機や観測用気球の攻撃用として活用された。その後、全金属製航空機の登場により装甲貫徹能力が必要となったことから1930年初頭、S.Prに代わる弾薬として登場しドイツ空軍で使用された。
弾薬重量23.62g(真鍮製薬莢)・24.1g(鉄製薬莢)
弾頭重量10.15g
弾頭全長37.3mm
装薬量2.9g(Nz.Gew.B.Pl./真鍮製薬莢)・2.85g(Nz.Gew.B.Pl./鉄製薬莢)
初速790m/s
射撃距離100mで90度の装甲板を6.5mm、60度の傾斜で5mmを貫徹。
■v-Munition / verbesserte Munition
改良型弾薬(高初速弾)。弾頭周りに緑の帯。各弾薬名称の後ろに「-v」が付く。主に航空機用弾薬として使用され、貫徹力の向上、高初速・低伸弾道による命中率の向上も期待できたが、銃身の命数は大きく低下した。装薬量は3.0g~3.5gだが既存の装薬量を増やすのではなく、改良型の新しい装薬(Np.Gew.R.P)を使っている。掲載した写真とイラストは尖頭弾鋼鉄弾芯昼間用100-600m曳光高初速弾(S.m.k.L'spur 100-600-v)を示す。
S.m.k. 初速765m/s → S.m.k.-v 初速865m/s
S.m.k.L'spur 初速790m/s → S.m.k.L'spur-v 初速905m/s
P.m.k. 初速790m/s → P.m.k. -v 初速905m/s
■TP または Trop. / Tropen munition
熱帯用弾薬。薬莢口(ケースマウス)に接する弾頭側面に雷管周りと同じ色の帯がある。熱帯地域の気象条件は弾薬に対してマイナスの影響を与える。気温と湿度の変化は発射ガス圧と初速に変化を与え、散布が増大(命中率低下)する。高温では火薬ガスの圧力が増大し、最悪の場合は銃の故障や破損を引き起こす。これらの影響を受けると特に問題が生じる弾種に対して熱帯用が開発された。
熱帯用の弾薬は、熱帯地域の高温・低湿度による発射薬の爆発力増加に伴う銃の破損防止を目的に、温度による爆発力が変化しにくい発射薬が使用されている。特に高初速弾(v-Munition)の場合、爆発力の増加は銃の破損に直結するため、熱帯用弾薬の使用には大きな意味があり、高初速弾との組み合わせが多く確認できる。熱帯用弾薬の発射薬は低温時の爆発力低下を防止する効果も持っており、幅広い気温に対して一定の性能を提供することができた。このため熱帯用でありながら寒冷地でも運用ができる。また薬莢口や雷管周りに塗装された塗料により内部を密閉し湿度の変化を最小限に抑える、と解説する資料もある。
熱帯用弾薬は北アフリカ戦線から撤退後の1943年7月、生産中止の通達が出された。
掲載写真の弾薬(P.m.k.-v Trop.)は弾頭にある黒の帯塗装から熱帯用の鋼鉄弾芯リン弾(焼夷弾)、また緑の帯から高初速弾(-v)であることが識別できる。
■B.-Patrone / Beobachtungspatrone
観測用弾薬(炸裂弾)。真鍮製薬莢と鉄製薬莢。弾頭先端1cmを除く範囲が黒色。弾頭内部の燃焼剤(白リン)により青白い煙を出しながら飛翔。煙は1.8㎞先の日中でも視認でき、弾道の追跡が可能。弾頭内には少量の爆薬と起爆用撃針があり、着弾して爆発すると白リンが周囲に飛散し、着弾場所が遠方からでも容易に確認できる。撃針は一定の衝撃が加わると作動する慣性作動方式で、2㎜厚の硬い金属板に当たると確実に作動する応答感度を持っている。このため軟目標への着弾では爆発せず、装甲板などの固い目標への着弾では爆発する。また白リンによって撃針作動の有無に関わらずガソリンなどの可燃物に命中した場合は即座に引火を引き起こす。このような性質を持っている一方、弾頭は熱や衝撃に強く高い安全性を有している。この弾薬は平時における訓練と射程距離の確認用途の他、航空機機関銃で使うと敵機に対する爆発、焼夷効果が期待できた。
大戦初期には対人目標への使用が禁止されていたものの、着弾地点が確認できるという利点から狙撃兵が好んで使用していた。また機関銃での、特に着弾が見えない遠距離射撃の場合、本弾薬を使用することで弾薬消費量を大幅に減らせるという利点が報告されていた。B.-Patroneは主にドイツ空軍用の弾薬であるが、大戦後半以降、小口径で威力の弱い7.92㎜弾の使用が減少していたドイツ空軍は大量のB.-Patroneを備蓄しており、これが大戦後半になるとドイツ陸軍へ放出、陸軍の歩兵部隊でも使用された。
弾薬重量24.32g(真鍮製薬莢)・24.8g(鉄製薬莢)
弾頭重量10.85g
弾頭全長39.8mm
装薬量2.9g(Nz.Gew.Bl.P./真鍮製薬莢)・2.85g(Nz.Gew.Bl.P./鉄製薬莢)
初速775m/s
■S.m.E. / Spitzgeschoss mit Eisenkern
尖頭弾鉄弾芯。真鍮製薬莢と鉄製薬莢。薬莢底部の雷管周りが青色。弾頭内部に大きな鉄製の弾芯が配置されている。1939年以降、弾頭に使用する鉛が将来的に枯渇するという懸念があり、鉛の使用量を抑える弾頭の開発がスタート。弾頭内部に大きな軟鉄製の弾芯を配置した新型弾薬は1940年に登場。テスト期間を経て1943年頃から大量生産が行われた本弾薬は鉛弾芯のs.S.(重尖頭弾)に代わり大戦後半の主力弾薬となった。s.S.弾よりも弾頭重量が1.2gほど軽く、重量バランス調整のため弾頭全長が2㎜延長された。鉛よりも固い鉄弾芯ゆえに貫徹力の向上という徹甲弾のような性質も持ち合わせてはいるが、これは副次的な効果であり「鉛の代用」が主目的である。
銅と亜鉛の合金(Tombak jacket)で覆われていた弾頭は資源節約やさらなる生産コスト低減のため一部のS.m.E.弾では廃止され、亜鉛メッキ/パーカーライジング処理、亜鉛メッキ/塗装、亜鉛メッキのみなど、複数の表面仕上げ方法が採用された。これらは弾頭色がシルバーまたは明るい灰色となっており識別できる。
S.m.E.は弾頭重量やバランスの違いからs.S.とは弾道が僅かに異なるため当初は機関銃での使用が禁止された。1942年後半になるとマニュアルには遠距離における修正項目が追加され機関銃での使用が解禁された。
・1,000~1,500mの距離ではs.S.弾とほぼ同じ弾道。
・1,500~1,950mまでは照準に50mの追加修正を行う。
・2,000~2,350mまでは照準に100mの追加修正を行う。
・2,400m以上は照準に150mの追加修正を行う。
・これらの修正はMG34・MG42に共通。
弾薬重量25.54g(鉄製薬莢)
弾頭重量11.55g
弾頭全長37.3mm(初期は35.3mmとの情報もあり)
装薬量2.8g(Nz.Gew.Bl.P./鉄製薬莢)
初速765m/s
S.m.E. のカットモデル。弾頭内部の多くを鉄弾芯が占めており、鉛の使用量が少ないことは一目瞭然。徹甲弾ではないので弾芯の鉄は炭素が少ない軟鉄が使われている。
■S.m.E.lg. / Spitzgeschoss mit Eisenkern - lang
尖頭弾長い鉄弾芯。鉄製薬莢のみ。薬莢底部の雷管周りが青色。S.m.E. 弾の鉛の使用量(主に弾頭先端部)をさらに減らすため、鉄弾芯の領域をさらに拡大した弾薬。鉛の使用量低下に伴う重量低減の対策として弾頭がさらに2㎜程度延長された。弾頭延長に伴う命中率への影響は少なく、射撃距離1,400mまではS.m.E. とほぼ同じ弾道を維持する。薬莢内に収まる弾頭後部が延長されているため、外観からはS.m.E.弾と区別できない。
弾頭重量11.99g
弾頭全長39.6㎜
■Wzg.Patrone s.S. / Werkzeug patrone - schweres Spitzgeschoss
尖頭弾工具弾。全体がニッケルまたはクロムメッキ仕上げ。装薬や雷管が無いダミーカート(模擬弾)であるが、重量やバランス、形状が実弾に限りなく近い点が一般的なダミーカートとは異なる。銃の技術者や開発者などが排莢システムの確認や作動テストなどを行う際に使用され、ゲージ工具に近い。
弾薬重量26.23g(真鍮製薬莢の s.S. Patrone と同じ)
■EX.Patrone / Exerzier Patrone
訓練弾。演習や教育訓練で使用される。装薬や雷管がなく、7.92×57mm弾の形状を模している。材質は真鍮製・鉄製・樹脂製など、形状は弾頭と薬莢が一体型、弾頭と薬莢が実弾に準じて分かれたものなど、さまざまな種類が存在する。いずれの訓練弾も、リブを設ける、全体の色を黒やシルバー(クロムメッキ)にする、穴を開けるなど実弾との区別が容易にできるような加工が施される。
EX.Patrone S
ラウンドノーズ弾頭、真鍮製の一体構造。中空で軽く、重量は12g。薬莢周囲にリブが設けてある。このタイプは大量生産された。
EX.Patrone S(K)
生産コストが高く、真鍮を使用する訓練弾(EX.Patrone S)に代わって1940年から生産が開始されたプラスチック製の訓練弾。「K」はドイツ語でプラスチックを示す kunststoff の頭文字。樹脂の色は黒と赤があり、底部のリム部は鉄製。
■Platz Patrone 33
赤に着色された木製弾頭が付いた空砲(Platz Patrone 33)。それまで使用されていた紙製弾頭付きの空砲(Platz Patrone 27)は問題があったため、この空砲の後継として1933年に採用された。射撃時に木製弾頭が飛び散るため、銃口から50mは危険範囲となる。掲載品の薬莢は銅メッキされた鉄製。
弾薬重量12g
装薬量1g(Nz.Pl.Patr.R.P.)
木製弾頭は全長31㎜、重量0.81g、内部は中空になっている。赤はステイン塗料で着色されており、明るめの赤から暗い赤まで色味には幅がある。
空砲は通常の7.92×57mm弾とは異なる形状のチューブ型発射薬を採用しており、装薬量は1g。発射薬と弾頭の間には細かい繊維状の緩衝材が充填されている。
ドイツ軍が使用した空砲薬莢は真鍮の消費を節約するため、使用済みの薬莢を再利用(基本的には2回まで)する方式が一般的。この再利用を示す識別マークとして薬莢の周りにローレットリング(Sorte Ringe)が加工されている。ローレットリングが1本であれば再利用1回目(Sorte 1)、2本あれば再利用2回目(Sorte 2)となる。鉄製薬莢の場合は生産数が多かったため再利用される機会は少ないが、紹介品のように鉄製でもローレットリングが確認できる。
一部の空砲紙箱ラベルにも「Sorte 1」「Sorte 2」と表示されている。
■鉄製薬莢について
写真上が真鍮製薬莢、下がパーカーライジング処理を施しラッカー塗料を塗布したスチール製薬莢のカットモデル。
真鍮製薬莢は銅の含有率が70%を超え、大量生産によって莫大な銅を消費する。銅の輸入が制限され、埋蔵量も限られていたドイツでは真鍮製薬莢の代替品が研究され、第一次大戦では早くも鉄製薬莢を生産していた。しかしながら薬室内での張り付き、破裂、錆など解決困難な課題が山積みであり、生産された鉄製薬莢はその低い信頼性から前線での使用が禁止された。以後、鉄製薬莢に関する大きな進展は無かったが、1930年代に入って鉄製薬莢を実用化させる技術的な進展があった。
○大量生産の実現
ドイツ・ニュルンベルクでワイヤーロープなどを製造していたノイマイヤ社は1937年に鉄の冷間押出法に関する特許を取得した。この技術は鉄製薬莢の大量生産に不可欠であり、1942年まで特許は機密事項だった。
○銅メッキ
鉄製薬莢が錆びると強度低下や装薬の劣化を引き起こすため、徹底した錆防止が必要となる。この錆対策として銅メッキが採用された。薬莢のベース素材に銅メッキを施し(押出加工の際に潤滑剤の役割を果たす)、薬莢としての加工が完了した段階で再び薬莢の内側と外側に銅メッキを施した。このメッキは100%純銅であり、銅を消費するという欠点はあったものの、優れた錆防止効果を発揮した。
○パーカライジング
1934年、フリッツ・シンガー(Fritz Singer 社名?)は鋼管への様々な表面処理を実験中、パーカーライジング処理された鋼管は高い潤滑性があり、鋼材と加工工具の間に潤滑被膜を作ることを発見した。冷間押出の加工が極めて容易になる、工具の摩耗を減らす、鋼材とダイスの固着を防ぐ、絞り加工や焼きまなし工程の回数を減らすなど、生産性が大きく向上。またパーカーライジングは防錆効果に加え、ラッカー塗料やワニスなど上塗り剤に最適な下地を形成し塗膜の密着性が高まる効果もあった。加工と錆防止に希少な銅を使わない鉄製薬莢の製造が実現したため、薬莢の銅メッキは1943年9月25日をもって廃止された。
○ラッカー塗料
パーカーライジングとの併用で錆を防ぐラッカー塗料が塗布された。一度に700個の鉄製薬莢を専用の治具に並べ、塗料をドブ漬け、余分な塗料を落とした後、180~200度のオーブンで35分加熱し乾燥・密着させる。
ラッカー塗料が塗布された薬莢は優れた対腐食性を発揮したものの、薬室内への張り付きや破損する問題は引き続き発生した。また1,200発/分という極めて発射速度が高い機関銃、MG42の登場は鉄製薬莢の欠点を増大させ、作動不良を引き起こした。この対処法として1944年7月以降(ドイツ陸軍総司令部からの指示は1944年6月25日)に生産されたすべての薬莢にはワックスが塗布された。ワックスはオイルやグリスよりも優れた乾式の潤滑剤で汚れやホコリなどが薬莢表面に付着しにくいという特徴を持つ。以下は当時の書類に書かれた文章。
「薬莢のワックスコーティングは発砲で生じる熱によってワックスが流動化、潤滑効果によって薬室からの引き抜きを容易にし、銃の作動不良を低減させる。65度ではベタつきの無い硬く対擦傷性の被膜を形成。油膜とは異なり、汚れや埃が付着しない。オイルを塗った弾薬は砂が薬室に入りやすい。ワックスが塗布された弾薬にオイルやグリスを塗るのは厳禁。ワックスが溶けて、効果が無くなってしまう。」
ワックスはラッカー塗料をオーブンで加熱した余熱を利用、樽に熱い薬莢と粉末のワックスを入れ1分間回転させると均一に塗布される。ワックスは薬莢の張り付き防止に大きな効果を発揮。ワックス処理された鉄製薬莢は真鍮製薬莢よりも優れているという報告もあり、真鍮製薬莢や、すでに部隊へ配給されていた弾薬にも現場でワックスがけが行われた。ワックス層は非常に薄く、ワックスの有無は見た目では判断できない。ワックス処理された弾薬の紙箱には次の文章が記載されている。
「弾薬にはワックスが掛かっている。オイルやグリスは塗らないように!!」
≪Patronenhülsen gewachst,Keinesfalls ölen oder fetten!!≫
また鉄製薬莢は弾頭の保持力が強く(真鍮製:20~60㎏、鉄製:100㎏~200㎏)、発射時のガス圧が25%ほど上昇し銃に大きな負担を与えるという欠点があったものの、この対策にもワックスが効果を発揮。弾頭が差し込まれる薬莢口の内側にもワックスを塗布することで弾頭の抜けが改善された。
写真左から、真鍮製薬莢、銅メッキ鉄製薬莢、パーカーライジング/ラッカー仕上げ鉄製薬莢が2本並ぶ。
■弾頭
弾種の項目で紹介した通り、ドイツ軍が1945年までに開発し使用した7.92mm弾の弾頭は、弾芯の材質、弾芯形状、重量バランス、曳光剤の有無、曳光色、曳光の明るさ、爆薬の有無、ジャケットの材質など、組み合わせによって無数のバリエーションが存在し、試作などを含めると全容把握が困難なレベルとなる。これらバリエーションは外観からの識別ができないものも多く、手持の弾頭を真っ二つに割ると、新たな発見があるかもしれない。
大きな変更点としてはs.S. 弾導入時より空気抵抗を軽減させ射程距離を伸ばす効果があるボートテール型(弾頭後部が絞られている)の採用、1943年頃から普通弾の弾芯が鉛から軟鉄へ切り替え、などが挙げられる。
■発射薬
◯ Nz.Gew.Bl.P. (2、2、0.45) ※Nitrozellulose-Gewehr-Blättchen-Pulver 数字は発射薬の大きさ
ニトロセルロースを主体とした発射薬。厚さ0.25~0.35㎜、長さ1.2~1.5㎜の黒い正方形。主要な7.92×57㎜弾に幅広く使用された。装薬量はs.S.弾の場合、真鍮製薬莢が2.85g、鉄製薬莢が2.75gとなっており、どの弾種でも鉄製薬莢の方が装薬量は少ない。
◯ Np.Gew.R.P. ※Nitropenta-Gewehr-Röhren-Pulver
1941年から主に航空機用弾薬として採用されたv-Munition(高初速弾)に使用。この装薬は細長い円柱形で中央に穴が開いている。
発射薬( Nz.Gew.Bl.P.)のクローズアップ。形状は正方形だが若干のバラつきがみられる。下側は一目盛り1㎜を示す。
弾薬紙箱ラベルには発射薬1粒のサイズが表記されており、(縦2×横2×厚さ0.45㎜)とあるが実測では縦横が1.2㎜~1.5㎜、厚さは0.25~0.35㎜程度となっている。この実測値は他の情報源とも一致するため、箱に記載のサイズは最大値かもしれない。
■雷管
◯ Zdh.88 / Zündhütchen 88
1888年に Patrone 88 と共に導入。第一次大戦と第二次大戦の7.92×57mm弾で多用された雷管。カップは真鍮製。雷管内の起爆薬には水銀を含み腐食性がある。起爆薬の成分は塩素酸カリウム37%、硫化アンチモン29%、雷酸水銀27%、粉末ガラス7%。
◯ Zdh.30 / Zündhütchen 30
1937年4月に導入。カップは銅製。水銀不使用、非腐食性の雷管と思われる。使用は数年間と短い。
◯ Zdh.30/40 / Zündhütchen 30/40
1940年7月、Zdh.30の改良型としてカップ材質を変更。カップは2種類あり、鉄製カップに亜鉛メッキを施したタイプ(雷管の色はシルバーまたはグレイ)は幅広い弾種に使用され、真鍮黒染めカップは1942年までに製造された空砲弾や訓練弾薬への限定的な使用が確認できる。起爆薬は硝酸バリウム42%、トリニトロレゾルシノール40%、ケイ酸カルシウム10%、酸化鉛5%、テトラセン3%で構成。
雷管周囲には弾種識別のため色が付けられている。大雑把には下記のような分類であるが、雷管色だけでは正確な弾種は識別できない。
緑・・・普通弾、自己爆発練習弾
青・・・鉄弾芯
赤・・・徹甲弾
黒・・・リン弾、S Patrone、初期のs.S.
■ヘッドスタンプ 真鍮製薬莢
薬莢底部にはさまざまな刻印があり、弾薬に関する基本的な情報が得られる。弾薬製造に関わる多用なメーカーや弾種を表す各種コード表示は多種にわたり、これだけでも専門書ができるほどである。
基本は、製造メーカー、薬莢の材質(真鍮 または 鉄)、製造年、製造ロットを示す4つの刻印が打たれている。
◯「P635」は製造メーカー「Gustloff-Werke、Otto Eberhardt Patronenfabrik」を表す。1941年以前では主に「Pコード」と呼ばれるローマ字の「P」を頭文字に数字などを組み合わせたもので製造メーカーを表記していた。
◯「S」は薬莢の素材が真鍮製であることを示す記号。「*」は銅72% 亜鉛28%の真鍮を示す。
◯「41」は生産ロット。一部例外もあるが生産ロットは1~99までの2桁表示が基本。1ロットの生産数は18万個。弾薬の生産数は膨大な数量になるため、同じ年で1~99までのロット数字が繰り返し使用される場合もある。またロット数はより大きな数量へ段階的に変更されたとする情報もある。
◯「39」は1939年の製造である事を示す。
雷管(Zdh.88)は周囲3か所が潰されて抜け落ち防止の加工が施されており、緑色なので重尖頭弾(Patronen s.S. ※第二次大戦の標準弾)を示している。
「P131」は製造メーカー「Deutsche Waffen-u.Munitionsfabriken A.G.」を示す。銅72%含有の真鍮製薬莢、生産ロット番号「4」、1939年製。
1941年頃より、製造メーカーがPコードではなく最大3文字までのローマ字を並べた表記に変更された。「hlb」は製造メーカー「Metallwarenfabrik Treuenbritzen GmbH(Werk Selterhof)」を示す。銅72%含有の真鍮製薬莢、生産ロット「6」、1942年製造。弾種がS.m.k.なので雷管周りが赤色。
「auy」の製造メーカーは「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.」を示す。銅72%含有の真鍮製薬莢、製造ロット番号「18」、1944年製造。雷管は鉄製カップに亜鉛メッキを施したZdh.30/40を使用。
9㎜パラベラム弾などの開発を行い、古くからドイツの軍事産業を支えたDWM(Deutsche Waffen und Munition Fabrik ※ドイツ武器弾薬製造社)が製造した真鍮製薬莢。他の薬莢とは異なり、製造メーカーと製造年(1937年)の刻印しかない。
こちらは第一次大戦中の1914年製造、真鍮製薬莢。「P」は製造メーカー「Polte-Werke」、「11」は製造ロット番号、「S」は銅67%含有の真鍮、または S Patrone の弾種を示している可能性がある。
製造メーカー「Metallwarenfabrik Treuenbritzen GmbH(Werk Sebaldushof)」を示す「P25」、銅72%含有の真鍮製薬莢、製造ロット番号「7」、1935年製造。
製造メーカー「Metallwerk Odertal Gmbh」を示す「P207」、銅72%含有の真鍮製薬莢、製造ロット番号「5」、1938年製造。
訓練弾(EX.Patrone S)の底部。雷管部は撃針をよけるため凹みが設けてある。訓練弾を示すExerzier Patroneの頭文字「Ex」、1939年製の「39」、製造メーカー Polte-Werke の「P」、真鍮製を示す「S」の横に打たれた「・」は本体が一体型であることを表すマーク。
■ヘッドスタンプ 鉄製薬莢
第一次大戦での製造後、1936年より生産が再開されたと思われる鉄製薬莢。掲載品は銅メッキが施された1938年の製造。
◯「P」は製造メーカー「Polte-Werke」
◯「IXm1」は3つの要素が組み合わさっており、「IX」「m」「1」に分けて読み解く。
「IX」ローマ数字の9は鉄製薬莢の鋼材を製造した製鉄所を示す。ローマ数字で「I~XXIV」(1~24)まであり「IX」は「August Thyssen-Hütte A.G.」。
「m」は銅メッキ処理を行ったメーカー「F.A. Lange, Neusilberfabrikate」を示す。ここのコード表記は30社ほど確認できる。
「1」 鉄製薬莢の成分表示。1、2、3、4、6、8、9、10、11、12、15、17がある。
「1」の場合、炭素:0.15~0.22%、マンガン:0.4%、ケイ素:0.12%、リン:0.03%、硫黄:0.03%が含まれる。
1930年代中盤、ドイツ陸軍は薬莢生産における将来的な資源枯渇や需要の急拡大に対して危機感を持っており、鉄製薬莢は薬室内の張り付きや破損の問題を抱えながら量産がスタートした。このため10種類以上の成分の異なる鋼材を実験的に採用し、問題が生じた場合に追跡できるよう、薬莢底部に詳細な情報を記載している。
◯「106」製造ロット番号
◯「38」1938年製。
雷管は銅製カップで水銀不使用のZdh.30が使用されている。
「P25」は製造メーカー「Metallwarenfabrik Treuenbritzen GmbH」を示す。「VII g 1」の「VII」はローマ数字の7で「Bochumer Verein fur Gusstahlfabrikation A.G.」の製鉄所、「g」は「Hirsch Kupfer-u. Messingwerke A.G.」でのメッキ処理、「1」は鉄の成分をそれぞれ示す。生産ロット「31」、1940年製。
幅5mmの緑ストライプ塗装が施されており、アルミ弾芯の軽量尖頭弾(I.S.)を表す。「hlb」は製造メーカー「Metallwarenfabrik Treuenbritzen GmbH (Werk Selterhof)」、「St」は鉄製薬莢を指し、製鉄所・メッキ工場・成分情報を兼ねた複雑な刻印は廃止された。生産ロット「3」、1941年製。銅メッキ処理されている。
「hlc」は製造メーカー「Zieh-u.Stanzwerke GmbH」、鉄製薬莢の「St」、その横にある小さな「+」は薬莢の強度を高めるため内部寸法が変更された改良型を示す。生産ロット「12」、1944年製。パーカーライジング/ラッカー塗装仕上げ。雷管はZdh.30/40。
「auy」は製造メーカー「Polte Armaturen und Maschinenfabrik A.G.」、寸法が変更された改良型鉄製薬莢の「St+」、その間にある「-」は雷管のフラッシュホールが大型の一つ穴タイプ(従来型は2つ穴)であることを表す記号。生産ロット「24」、1944年製。パーカーライジング/ラッカー塗装仕上げ。雷管はZdh.30/40、周囲が黒で塗装されているように見える。
「bne」は製造メーカー「Metallwerke Odertal GmbH」、改良型鉄製薬莢の「St+」、生産ロット「8」、大戦末期の1945年製。パーカーライジング/ラッカー塗装仕上げ。
「tko」は製造メーカー「Waffen- und Munitionsfabriken A.G.」、改良型鉄製薬莢でフラッシュホールが一つ穴の「- St+」、生産ロット「2」、1945年製。雷管周囲の青色から弾種は鉄弾芯のS.m.E.。パーカーライジング/ラッカー塗装仕上げ。
赤いプラスチック製訓練弾(Exerzier Patronen S (K))のスチール製底部。訓練弾を示す「Ex」、1941年製の「41」、製造メーカー 「Johannes schäfer,Stettiner Schraubenwerk」を示すコード「byw」、「S」の意味は不明。
当時各国で使用されていた主な小銃弾との比較。8mmマウザー弾は弾頭重量が重く、最も運動エネルギーが大きい。 写真左から
〇ドイツ 8mmマウザー弾(7.92×57mm)
弾頭重量:12.8g 初速:785m/s エネルギー:3944J
〇アメリカ 30-06スプリングフィールド弾(7.62x63mm)
弾頭重量:9.8g 初速:835m/s エネルギー:3416J
〇イギリス 303ブリティッシュ弾(7.7×56mmR)
弾頭重量:11.3g 初速:740m/s エネルギー:3093J
〇ソビエト 7.62x54mmR弾
弾頭重量:9.7g 初速:865m/s エネルギー:3629J
〇日本 九九式実包(7.7mm×58)
弾頭重量:11.8g 初速:730m/s エネルギー:3144J
〇日本 三八式実包(6.5mm×50SR)
弾頭重量:9.0g 初速:762m/s エネルギー:2612J
5発をまとめる金属製のクリップ。小銃の射手は弾薬をバラで持ち運ぶことはせず、基本的にはこのクリップで5発まとめたものを弾薬ポーチへ収納する。このクリップごとkar98kのレシーバー上部の溝に差し込むことにより5発の弾薬を素早く装填することができる。
クリップは本体と板バネから構成。クリップ背面の2ヵ所の穴と板バネの突起が干渉して脱落を防止する。
薬莢底部のリムとクリップのレールが噛み合い、板バネで押されるため、弾薬はグラグラせず固定できる。
クリップには製造メーカーコードや製造年が刻印されている。写真左側の3つは真鍮製、右側の5つはスチール製で表面仕上げが異なっている。写真左側から順に、
〇 「P」 Polte-Werke
〇 「P25」 Metallwarenfabrik Treuenbritzen Gmbh
〇 「△30」 メーカー不明 ※ドイツ製ではない可能性も...
〇 「P416-37」 Loch & Hartenberger 1937年製
〇 「P635-39」 Gustloff-Werke、Otto Eberhardt Patronenfabrik 1939年製
〇 「P208.40」 メーカー不明 1940年製
〇 「ghx / 44」 メーカー不明 1944年製
〇 「hre 44」 メーカー不明 1944年製
クリップの側面には各種装填用のローダーやKar98kの機関部に差し込んだ際にストッパーとなる突起が設けられている。突起の形状やサイズは微妙に異なっている。