■1942年 BLM社製 Kar98k




1942年にBLM(Die BerlinLubecker Maschinenfabriken)で製造されたKar98k。各部の形状は製造時期とマッチしているが、製造番号や製造メーカーがバラバラの部品で組み立てられており、オリジナル度は低い。

全体的に大戦初期のKar98kの特徴を残しつつ、一部に生産工程の簡略化が見られる。木製ストックはブナの積層材を使用しているが、色目が暗い。


















1942年製造を示す「42」、BLMを示す製造メーカーコード「duv」「749」のバッフェンアムトが打刻されている。BLMを示すバッフェンアムトコードの数字は「214」が多く、「749」は短期間だけ使われていた様子。通常、レシーバー周りには複数のバッフェンアムトが打たれるが、BLMは上面に1か所のみと刻印が少ない。

ボルトのエキストラクター固定リングに打たれた「623」のバッフェンアムトはSteyr-Daimler-Puchを指す。

BLMは1936年以降、一貫してKar98kを製造していたが1943年からは完全にG.41の生産に切り替わった。そのためBLMで製造されたKar98kは42年製が最後となる。




BLMは36年から42年までに約88万挺のKar98kを製造しており、42年の生産数は約24万挺。「2514S」の製造番号は192514挺目を示しており、後期に生産された個体。「Mod.98」の刻印は製造メーカーにより字体や文字サイズが異なり、多くのバリエーションが存在する。

ストック中央部に埋め込まれているクロスボルトのバッフェンアムト(655)から、ストックはマウザー社製と思われる。




トリガーガードとマガジンベースも削り出し。共に「2029」の製造番号がありバッフェンアムトは無し。




通常は多数の刻印が打たれる薬室前方も本銃では国家鷲章のプルーフマークのみとシンプル。







リアサイトは裏側の数字が無く、加工工程の省力化が図られている。表の数字面は白磨き仕上げ。







リアサイトの溝は、41年製が「V」型であったが、本銃は「U」型を採用している。照準のやり易さという点では「U」型に軍配が上がる。




リアサイトベースはZF41を装着する狙撃銃タイプではないので左右対称のシンプルな形状。










ストックと銃身の前部を固定するバンド金具。初期の「H」型から単純な筒型に変更されているものの、まだ手間の要する削り出し品が使われている。41年後半頃から「筒型・削り出し」が登場し、43年以降は「筒型・プレス製」がメインとなる。BLMでは1942年の途中から筒型・削り出し品に切り替わっている。「16373」の製造番号刻印あり。

スリング通しを兼ねた ハンドガード固定金具は「77」のバッフェンアムトからSteyr-Daimler-Puch製。










銃口部は第二次大戦初期に生産された型と同じ形状。




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