■1937年 ERMA社製 Kar98k その1




1934年から生産を開始したKar98kは様々な改良・仕様変更が行われた。生産時期によって大きく5つのタイプに分類(説明用に当ホームページが独自に分類したもの)し、主な特徴を示す。

○大戦前初期型(1934年から1937年頃)
・無垢単材の木製ストック
・全て削り出し部品
・板状のバットプレート
・フードなしフロントサイト
・短いクリーニングロッド

○初期型(1938年から1939年頃)
・積層材ストック
・長いクリーニングロッド

○中期型(1940年から1942年頃)
・プレス製カップ型バットプレート
・フード付きフロントサイト

○後期型(1943年から1944年頃)
・「削り出し」から「プレス部品」への変更による生産性の向上
・リアサイト裏側の数字刻印省略など部品形状の単純化

○末期型(1944年から1945年)
・木製ストックにある撃針分解金具の省略
・クリーニングロッドの省略
・着剣装置の省略
・リアサイトの簡略化
・仕上げの簡略化  など





ここで紹介するのは1937年製のレシーバーに1938年頃生産と思われる木製ストック(積層材)がついた初期型。すべて削り出し部品、木製ストック後部の平らなバットプレート、フードの無いフロントサイトなどの特徴を有するが、レシーバーと木製ストックは生産時オリジナルの組み合わせではなく交換されている。37年製のKar98kに積層材ストックを付けた仕様はおそらく存在しない。






















金属表面はブルーイング仕上げであるが、ツヤの無い黒色になっている。

高い信頼性を発揮したKar98kのレシーバーとボルト、トリガー機構は12年の製造期間を通して大きな仕様変更は実施されていない。重要な心臓部は末期生産に至るまで信頼性が維持されている。




エルマ社(Erfurter Maschinenfabrik)を示す「S/27」の製造メーカーコードと製造年「1937」の刻印。エルマ社は1935年からKar98kの製造に加わり(1934年はマウザー(Oberndorf)とJP・ザウアー・ゾーンの2社のみ)、生産を終える1941年までに約65万挺を生産した。Kar98kの総生産数に占める割合は4.6%と少ない。










レシーバー左側に並ぶ刻印。旧デザインの国家鷲章、「3296 b」は1937年のエルマ社で23,296挺目の生産であることを示す製造番号。エルマ社は1937年に約99,000挺を生産している。「×」のような印はソビエト軍が鹵獲した際に押された刻印と思われる。




レシーバー右側。3つの検査項目にそれぞれ合格したことを示す旧デザインのバッフェンアムト。「280」はエルマ社を示す。




リアサイトベースの右側。「280」のバッフェンアムトが3つ。




ボルト上面とボルト後部の3か所に本体と一致する製造番号「3296」が手書きされている。










トリガーガードとマガジンベースにも手書きで「3296」の数字。




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