望遠照準器付き Kar98k / Karabiner 98k mit Zielfernrohren


ドイツでは古くから射撃や狩猟が文化として根付いており、1900年以降になるとツァイスやヘンゾルトといった世界最高峰の技術を持つ光学機器メーカーが販売する市販の望遠照準器も入手しやすい環境にあった。第一次世界大戦の特に塹壕戦において、ドイツ軍は狙撃の重要性をいち早く認識し「狙撃兵」を組織化し前線へ投入した。これら狙撃兵は射撃の知識が豊富な狩猟経験者が多く、短期間でドイツ軍の狙撃能力を押し上げる一因となった。狙撃による将兵や士官の消耗は連合軍を心理的・物理的に圧迫し、時には攻撃全体を停滞させるほどの効果を発揮した。

このような実績があったにもかかわらず、1930年以降に軍備を拡大するドイツ軍はスピードを重視した機動力と機関銃を中心とした歩兵火力の増強を求め、静的な「狙撃」への関心は薄れていった。1930年代の中盤には「望遠照準器付きの小銃は不要」とする意見が強まり、1938年2月には軍で保管している余剰となっていた望遠照準器を売却する通達が出ている。ドイツ軍は狙撃を過小評価し、組織的な運用も装備品開発も行われないまま、第二次大戦へと突入する。

1939年のポーランド侵攻の戦訓、さらに1941年のバルバロッサ作戦によりドイツがソビエトへ侵攻すると、組織的で強力なソ連軍の狙撃で大きな被害をこうむり、狙撃の重要性を再認識する大きなきっかけとなった。1942年の中盤以降、狙撃の運用に向け急ピッチで準備が進められていく。

1934年から生産がスタートしたKar98kを狙撃銃として使用する場合、規格化されたマウントや望遠照準器が無かったため、4倍から6倍の民生用望遠照準器・マウントを流用していた。第二次大戦中にはこれらの民生品に加え、民生品を軍用に転用した倍率4〜6倍(少数ながら8倍もあり)と一般歩兵の射撃精度向上を図る目的で開発された望遠照準器 ZF41(倍率1.5倍)の2系統が存在。また1943年の末から量産が開始された望遠照準器 ZF4もKar98kに搭載されたようであるが少数の使用に留まっている。

民生品に関しては様々なメーカー、種類が使用されていたが、ドイツ陸軍のマニュアル「民生品望遠照準器を装着したKar98k(Karabiner 98k mit handelsublichen Zielfernrohren)D136/2」には主な民生品望遠照準器として「Heliavier」「Zielvier」「Ziel-Dialyt 6倍」「Zieljagd 4倍」「AJACK 4倍」「Zielsechs」の6種類が掲載されている。4倍や6倍の望遠照準器を装着したKar98kの生産数は132,000挺、ZF41搭載型は10万挺程度とされており、Kar98k全生産数の1.7%弱と推測される。

■各部のディテール紹介

・Zielvier (カール・ツァイス 4倍 小銃用望遠照準器)

・ZF41 (1.5倍 小銃用望遠照準器)


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