■刻印

1943年に生産された本銃の製造メーカーはDie BerlinLubecker Maschinenfabriken(BLM)、製造メーカーコードは「duv」、バッフェンアムトコードは「214」となる。各部品に打たれたバッフェンアムトはすべて「214」となっており、銃を構成するすべての部品(樹脂製のハンドガードは除く)はBLM一社で生産されていたことがわかる。





レシーバー左側、リアサイト下面には銃の名称や製造メーカー、製造番号などが刻印される。
銃の名称「G.41」、製造メーカーコード「duv」、製造年「43」、4桁数字+アルファベットから成る製造番号「2688b」、「214」のバッフェンアムト。
「2688b」は1943年になって22688挺目の生産品であることを示し、BLMが製造したG.41の中では比較的初期の生産モデルとなる。

■ワルサー製造のG.41
1941年の初期生産型から1942年末までに生産された銃には「G.41(W)」+製造番号の刻印がある。マウザー社のG.41(M)と区別するために製造メーカであるワルサーの(W)が明記されている。

ワルサー社に加えてBLMでも生産を開始。製造メーカーの表示が必要になったことからメーカーコード「ac」の刻印が1942年の中盤以降に追加された。

その後、マウザー社のG.41(M)が不採用になると(W)表記が無くなり1942年末以降は銃の名称刻印が「G.41」となる。

1943年前半から製造年の刻印が追加。

■BLM製造のG.41
1942年末から1943年にかけてG.41の生産を開始したBLM。「G.41」「duv」の刻印があり、最も初期に生産された約400挺は製造年が無く、その後は製造年が刻印される。

■G.41の生産数
詳細な生産数は不明で記録は残っていない。シリアル番号からの推測では(出典:Hitler's Garands・COLLECTOR GRADE PUBLICATIONS INC発刊)、ワルサー社は1941年に5000挺、1942年に少なくとも4780挺、1943年に20996挺の合計3万挺以上。BLMは1943年に96477挺を生産(1943年に64636挺、1944年に22384挺とする資料もあり)。1941年から1944年までに2社合計で115000挺~最大で130000挺が生産されたと推測される。まとまった数量が生産されているG.41であるが現存数は少なく、希少価値が高い。




発射のガスを受けるマズル・コーンの側面に「2688」の製造番号。




フロントサイトベースの左側に「2688」の製造番号と「214」のバッフェンアムトが2つ。




リアサイトの裏側に「G」のような文字と「214」のバッフェンアムト。




リアサイトベースの中にはやや曖昧に打刻された「214」のバッフェンアムト。




木製ストック左側のクロスボルト。「214」のバッフェンアムトが上下逆さに打たれている。




レシーバー右側、リアサイトの下には射撃試験に合格したことを示すプルーフマーク・国家鷲章の刻印。




固定式弾倉の左側面。「214」のバッフェンアムトと「2688」の製造番号。




トリガーガードの前方に「214」のバッフェンアムトと「2688」の製造番号。




ボルトキャリア上面には銃本体とは異なる「3693b」の製造番号。




ボルトキャリア左側面に「214」のバッフェンアムト。




トリガー左側面に「214」のバッフェンアムト。




レシーバーカバー後方に「214」のバッフェンアムト、ボルトキャリアと一致する「3693」の製造番号。ボルトキャリアとレシーバーカバーは簡単に取り外し・分解ができるため、破損した部品を交換したものと思われる。




安全装置レバーに「C」のような文字と一部数字が消えているが「214」と思われるバッフェンアムト。




トリガーガード後方のストック下部に打たれた「214」の小さなバッフェンアムト。写真左が銃口側。




バットストック下部に「2688」の製造番号。写真左が銃口側。




バットストックの右側面に2つ打たれた「214」のバッフェンアムト。写真右が銃口側。




銃身基部にも多数の刻印が確認できる。銃身左側は「A G]の文字。




銃身上部には何かのマークが打刻されている。




銃身右側には「214」のバッフェンアムトが2つと、国家鷲章のプルーフマーク。




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