G.41(W) 半自動小銃 / Gewehr 41(W)





第一次世界大戦以降、各国で半自動小銃(セミオートマチックライフル)の開発が進められていたが、小銃用の強力な弾薬を従来のボルトアクション型小銃に近いサイズで実現し、これを量産化することは技術的に困難な状況にあった。その中でも、ソビエト軍は1936年にシモノフM1936、アメリカ軍も1936年にM1ガーランドを正式採用するなど歩兵火器の自動化は進みつつあった。

ドイツでは、1930年代に反動を利用してバレルを動かす(ショート・バレル・リコイル)方式の半自動小銃、G35がマウザー社で開発されたが採用には至らず失敗作となった。またワルサー社もA115と呼ばれる半自動小銃を1930年代中盤に開発したが、多数の問題を抱えており1938年までに開発を中断。ドイツ軍は急速な軍事力の拡大を前に、自動火器の導入による歩兵火力の強化を目指す必要性を感じながらも歩兵用小火器の新規開発を行う余裕もなくKar98kの量産を継続し、半自動小銃に関しての進展は止まっていた。しかし、G35やA115の開発で得た技術はマウザーとワルサー両社の基礎形成に寄与し、その後の半自動小銃開発に繋がっていく。

半自動小銃の開発でソビエトやアメリカから遅れをとっていたドイツは1940年に入ると、ワルサー、マウザー、クリークホフ、ラインメタルの各大手メーカーに対してドイツ陸軍兵器局が新型半自動小銃の仕様書を提示した。その主な内容は下記の通り。

・Kar98kに近い形状であること
・銃身の銃腔(ボア)にガス抜きを設けない
・MG34で成功したガス・トラップ式(銃口部のリコイル・ブースターを指すものと思われる)を採用する
・自動装てんの際に、上部の部品が動かない
・Kar98kと同じ7.92×57㎜弾を使う
・固定式弾倉で、Kar98kに用いる5発クリップが使える
・自動機構が故障した際に、Kar98kと同様の方式(ボルトアクション)で手動装填ができる

この要求に対して与えられた開発期間はわずか1年ほどであったが半自動小銃の開発実績があったワルサーとマウザーの2社が手を挙げ、ワルサー社がG.41(W)、マウザー社はG.41(M)という名称がそれぞれの銃に与えられた。両社の作動方式は銃身内にガス抜き穴を設けないガス・トラップ式という兵器局からの要求により、デンマークのデザイナー、Soren H Bang が開発していた「バン・システム」とよばれる機構を採用。この方式は銃口から出る発射ガスを利用してリング状のピストンを作動させる。2社の設計チームはバン・システムの導入にあたり、協力していた可能性が高く、実際に両者の銃は銃口のデザインが非常によく似ている結果となった。


マウザー社のG.41(M)は陸軍兵器局の要求をそのまま取り入れた設計となっておりKar98kに似た外観に7.92×57㎜弾が10発収まる固定式のボックスマガジン、射撃時に上部部品が動かないようレシーバー内部に収まったボルト、そしてレシーバー後部には初弾装填と自動機構が故障した際に使用するボルトアクション用のボルトハンドルが配置された。一方のワルサー社は、機構を複雑にするボルトアクションを廃止、レシーバー上部には前後に動く大型のボルトキャリアを配置するなど陸軍兵器局の要求を一部無視した設計となっていたものの、スマートな外観にまとまっていた。

2社のG.41は比較テストが開始されたが結論が出ず、実戦部隊へ配備して評価する事となったため陸軍兵器局はワルサーとマウザー社に5000挺の生産指示を出した。生産を開始したワルサー社は1941年7月に最初の1200挺を納品し1942年1月までには5000挺すべての納品を完了した。一方のマウザー社は42年1月までに1673挺しか納品できず、その後の生産計画にも遅れが生じていた。また半自動式の機構にボルトアクションを組み込んだG.41(M)の複雑な構造は、部品点数の増加、高コスト、信頼性の低下を招いた。マウザー社は陸軍兵器局の要求に沿った銃を開発したが、これが欠点となり最終的にはワルサー社のG.41(W)が1942年12月に採用された。

ドイツ軍では初めての半自動小銃として採用されたG.41は歩兵火力の強化と火器不足に悩む武装親衛隊から特に熱烈な配備要求を受けるも、ワルサー社の生産キャパは限界に達しており生産は遅れ気味であった。これを解消すべく1942年に陸軍兵器局はドイツ北部の都市・リューベックにあるBLM(Die BerlinLubecker Maschinenfabriken)とG.41の生産契約を締結。BLMは1936年以降、一貫して生産を行っていたKar98kの生産を終了し、G.41の生産に切り替えた。

兵士からの期待に応えるべく増産体制が進む中、前線からのG.41に対する評価は悪化していった。銃口に配置されたバン・システムによる重量増とフロントヘビーによるバランスの悪さ、そして何よりもこのシステムは過酷な扱いをされる戦場において作動不良を多発した。信頼性の低いG.41をあきらめ、鹵獲したトカレフSVT40を好んで使うような状況も発生した。ソビエト軍からは信頼性の低さが指摘されているSVT40は徹底的に注意を払えば合理的な信頼性があり、毎分25発程度が発射可能な半自動小銃はG.41を持つドイツ軍兵士にとって魅力的なものだったようだ。

作動方式による根本的な問題を抱えたG.41は改良して使用することも難しく、G.41をベースにシモノフやトカレフ半自動小銃の作動方式を取り入れたG.43(Gewehr 43)が新型の半自動小銃として1943年3月に採用。G.41はG.43採用後も1944年まで約12万挺が生産された。



■各部のディテール紹介

・レシーバー その1

・レシーバー その2

・銃口 / バン・システム

・フロントサイト / リアサイト

・ストック前部 / ハンドガード

・木製ストック

・光学照準器の搭載

・ZF40 マウント

・刻印



ホームへもどる