■MG34 1943年製 ポルトガル輸出用



1943年に輸出された600挺のうちの1挺。ベークライト製のストックが装備され、外観はドイツ軍向けのMG34と同一。




フィードカバー上面にポルトガル輸出用であることを示す刻印が打たれている。このフィードカバーには製造メーカーコード「clc」が打たれており、ゾーリンゲンにある Rich. Herder を示す。ブルーイング処理が施されているが他よりもややグレー味が強い仕上がり。




1943年にラインメタル社で組立を行ったことを示す「Konstruktion Rheinmetall-Borsig 1943」、ポルトガルへ輸出された1000挺のうち159挺目であることを示す「No.159」の刻印。文字が白っぽく見えるのは、黒染め処理後に文字加工が施されて金属の地が露出しているため。

フィードカバー以外はドイツ占領下のブルーノ造兵廠(チェコスロバキア)で生産されたMG34にもかかわらず、「ラインメタル社の組み立て」と刻印があるのはドイツ製であることを強調するためであろうか。







「dot」1943年製のバレルジャケット、「WaA63」(※dotと同様にブルーノ造兵廠を示す)の刻印が打たれた機関部共に、フィードカバーと一致する「2219b」の製造番号が確認できる。

現存する複数のポルトガル輸出仕様の刻印を確認すると、1~600、601~1000の輸出No.と銃本体の製造番号は連番ではなく、飛び飛びの番号になっている。戦況の悪化とともに、より多くの機関銃が必要とされたドイツ軍において、ポルトガル向けの1000挺をまとめて生産することが難しかったため、独軍向けの生産をしつつポルトガル用を順不同で抜き取った可能性も考えられる。




フィードカバー以外の特徴として、引き金後方のピストルグリップフレームにポルトガル語で「T」(※Tiro-a-Tiro、セミオート)、A(※Tiro-Automàtico、フルオート)を示す刻印があるのだが、本項で紹介しているMG34には刻印が無い。グリップパーツがポルトガル仕様から交換されている可能性もあるが製造番号が無いので真偽は不明。









ここからはこのMG34で確認できる主なバッフェンアムトの刻印を紹介。各部品は製造番号の刻印が無いため、製造時のオリジナル部品かどうかは判別できない。交換された部品である可能性もあるので注意が必要。

ベークライト製のストックに製造番号は確認できないが、「WaA26」のバッフェンアムトが打たれている。製造メーカー Mauser-Werke を示しているが、刻印のクローズアップを見ると手作業で彫ったような仕上がり。このようなバッフェンアムトは珍しいが、後年になってコレクターが自分で彫った可能性も...考えられる。




バットストック後部の大きなマイナスネジ。「WaA812」と読めるがメーカーは不明。







機関部の上面に打たれた小さなバッフェンアムト。「63」は Waffenw. Brünn (ブルーノ造兵廠)を示す。




フィードトレイの右側面。「1」のバッフェンアムトは時期によって異なるメーカーを示すが、1943年頃であれば RheinmetallBorsig か Gustloff-Werke を示す。




2脚の基部。1942年製で製造メーカーコード「Kur」は Steyr, Werk を示す。数字が読みにくいがバッフェンアムトは「WaA815」。




2脚の脚。製造メーカーコード「dqc」と「WaA195」のバッフェンアムトはともに Eugen Jsing を示す。




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