■MG34 生産バリエーション

1935年から1945年まで生産されたMG34は生産時期によって若干の差異が確認できる。ここでは当時の写真を元に生産のバリエーションを簡単に紹介する。

MG34の中でも初期に生産されたタイプ。フィードカバーは削り出しで製作されており、上面の傾斜部が急な角度になっていることが外見的特徴。穴数の多いバレルジャケット、MG13機関銃と同一の2脚が装備されており初期生産型の特徴を満たしている。

空のベルトリンクが見えるので射撃した様子であるが、リアサイトとフロントサイトが共に倒れているのでカメラマンの要望に応じて射撃姿勢だけをとった写真のようだ。




最初に生産された2,300挺のMG34には毎分の発射速度を500~1,000発の間で調整できる機構がグリップ内に収められていた。どのような構造であったのか詳細は不明であるが、マニュアルに掲載されている透視図にもその機構が収まっていたと思われる空間が描かれている。この調整機能が設けられた明確な理由は不明だが、低速は弾薬の節約、銃身の過熱と摩耗を防ぎ長時間の射撃を可能とする地上射撃用、高速は短時間に高密度の弾幕が必要な対空射撃用ではないか?という見解がある。この複雑な装置は常に速い発射速度を求める兵士達には不要であったため、1936年には廃止されている。

MG34のピストルグリップが角ばっており、小さい手ではやや握りにくい大きさなのは、この機構を内部に収める必要があったためかもしれない。




1939年頃と思われる射撃訓練中の写真。初期型のMG34は対空射撃用の3脚(ドライバイン34)に載せられ、対空サイトも付いている。射撃が5発連射で止まるように一定間隔で弾薬が間引かれたベルト弾帯にも注目。この3脚は射撃時の安定性が悪く、射撃の反動で大きく揺さぶられるため兵士が3脚を押さえている。




フィードカバーがプレス・削り出しのどちらなのか判別できないが、多数の穴が開いたバレルジャケットから初期生産と思われる。弾薬箱のフタをトレーとして使い、ベルト弾帯が地面に擦れて汚れるのを防いでいる。




削り出しのフィードカバーが装備されているが、バレルジャケットは穴数の少ない後期タイプ。穴の多い前期型バレルジャケットは第二次大戦が始まると、変形する事案が多数発生。強度確保のために1939年から1940年にかけて改良が施された。

なおバレルジャケットはフロントサイトと対空サイト取付基部の間に並んでいる穴数を確認すると初期・後期が見分けやすい。初期型が4つ、後期型が3つとなる。




ラフェッテ34に搭載されたMG34は穴数の少ないバレルジャケットを装備。プレス製フィードカバーは1939年から1940年頃にかけて導入されたと思われる。掲載写真ではわかりにくいがベルト弾帯の弾薬は弾頭が丸いため演習用の空砲(木製弾頭)と思われ、この空砲射撃には薬室部分が別部品となっている空砲専用の銃身を用いる。MGZ34光学照準器が装備され、前方にはその収納コンテナが転がっている。1941年1月の撮影。理由は不明だが、MGZ34の前側と手前の弾薬箱上面の一部は黒塗りされ写真修正がされているようだ。




変更理由はわからないが、1942年中盤以降に生産されたMG34のバレルジャケットには黄色矢印で示した箇所に穴がない。本サイトで紹介している1943年製のMG34も同型。1942年以降に生産されたMG34はこの形のまま1945年まで生産が続けられる。



もどる