MG34 / MASCHINENGEWEHR 34




 第一次大戦中、ドイツ軍は1908年に採用したMG08(マキシム機関銃)やMG08を軽量化したMG08/15などの機関銃を使用したがこれらは水冷式で重く旧式化していった。そのため空冷式で軽量の新型機関銃の開発が望まれたが、ヴェルサイユ条約によって火器開発が制限されていたドイツでは、水冷式であったドライゼ機関銃を空冷式へと改良したものをMG13として1932年に採用。一方、ラインメタル社がスイスに設立したゾロトーン武器製造会社においてラインメタル社の主任設計者、ルイス・スタンゲが中心となり1920年代後半から水面下で開発が進められていたMG29機関銃は重量9㎏の軽量・空冷式・容易な銃身交換機構を備えていた。その後、弾薬を変更したMG30が登場すると、興味を示したドイツ空軍により若干の改良を実施。航空機用機関銃・MG15として1932年に採用されたがドイツ陸軍では不採用となった。このMG30はマウザー社のハインリッヒ・フォルマーに引き継がれ多数の改良が施されると、ドイツ陸軍での使用が決定した。これが汎用機関銃の元祖となったMG34である。

1936年から部隊への配備がスタートし、同年のスペイン内乱でその威力を発揮。第二次大戦後半に後継となるMG42機関銃が登場するまでドイツ軍の主力機関銃として全域で使われた。軽量・多用途性を生かしさまざまな戦術に対応できるその能力は、戦後の機関銃開発に大きな影響を与えている。

ドイツ軍でのMG34正式採用は1939年1月24日。MGラフェッテ(大型三脚)、MGZ(光学照準器)、連装対空射撃用銃架(Zwillingssockel 36)、MGワーゲンなども同じタイミングで正式採用されている。

MG34は7.92×57mmモーゼル弾を使用する空冷式機関銃。2脚が装備され軽機関銃として使用されたほか、ラフェッテと呼ばれる大型の3脚を用いて重機関銃としても使用された。重量は12.1㎏、ショートリコイルの作動方式で毎分900発の発射速度。50連の弾薬ベルトを使い、銃の機関部左側に装備する50発の弾薬ベルト1本が収まるドラムマガジンや300発入りの弾薬箱を使って給弾を行う。

MG34はそのほとんどが高精度の削り出し部品で構成されており、緻密な設計と共に素晴らしい品質の機関銃であるが生産性の悪さは大きな欠点といえる。生産には熟練工と高価な工作機械、1挺を生産するために49キロもの原材料を必要とした。生産コストは1944年の資料に記載された価格で1挺あたり312RM(ライヒスマルク)、Kar98kは70RM、MG42は250RMである。

1935年から生産が開始されたMG34は1945年までに約42~44万挺が生産された。MG42採用後も、Waffenwerke Brünn A.G.がMG34の生産をほぼ一手に引き受け、1945年まで生産数が低下することはなかった。以下にMG34を生産したメーカーと生産数を示す。

BSW & Gustloff : 130,000挺
Rheinmetall-Borsig & Maget : 70,000挺
Mauser-Werke A.G. : 60,000挺
Steyr-Daimler-Puch A.G. :  7,000挺
Waffenwerke Brünn A.G. : 175,000挺

 合計 442,000挺


本項ではドイツ占領下にあったチェコスロバキアのブルーノ造兵廠(Waffenwerke Brünn A.G.)において1943年に製造されたMG34を紹介する。

■各部のディテール紹介

・MG34 全体写真

・レシーバー その1

・レシーバー その2

・ボルト その1

・ボルト その2

・ボルトの分解 / ボルトの作動メカニズム

・フィードカバー / フィードトレイ

・バレルジャケット 

・銃口 / リコイルブースター / 薬室周り

・銃身

・銃身交換 / バレルジャケットとレシーバーの分離

・ストック / バッファー

・フロントサイト / リアサイト /対空サイト

・2脚

・スリング

・刻印

・MG34マニュアル画像 MG34のパーツ・付属品

・MG34マニュアル画像 「Das M.G.34 Wa 32/33」

・MG34マニュアル画像 「A.Butz, M.G.34」 その1

・MG34マニュアル画像 「A.Butz, M.G.34」 その2

・MG34マニュアル(作動機構・作動不良の解説)

・MG34 生産バリエーション

・MG34 ポルトガル輸出仕様


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