G.41(M) 半自動小銃 / Gewehr 41(M)
ドイツにおける自動装填式小銃の歴史は第一次世界大戦以前まで遡る。20世紀初頭にはマウザー社をはじめとするドイツの銃器メーカーが発射時の反動や発射ガスを利用して次弾を自動的に装填する小銃の研究を進めており、第一次世界大戦中には限定的ながら実用化に至った自動装填式小銃も存在した。第一次世界大戦後も研究は続き、ヴェルサイユ条約によって軍備を大幅に制限されたドイツ軍にとって、限られた兵力でより大きな火力を得ることは重要な課題だった。1920年代初頭には20~30発という大容量弾倉を備えた自動装填式小銃やフルオート射撃も可能とする小銃まで構想されるなど、積極的に新しい小銃の可能性を模索していたことがうかがえる。
1930年代、マウザー社ではその後のG.41(M)につながる重要な試作銃の研究が続けられていた。その一つが「G35」と呼ばれる半自動小銃で、1935年頃には約600挺を導入して軍による試験が実施されたものの不採用となった。構造が複雑で、実用兵器としての信頼性や取り扱いに問題を残していたためである。しかしこの経験がその後の半自動小銃の開発へ引き継がれていった。そして1939年末には、後のG.41(M)にきわめて近い試作銃「S/42D」が存在していたことが確認できる。
「S/42」は当時マウザー・オーベルンドルフ工場に割り当てられていた製造メーカーコードであり、マウザー社から陸軍兵器局へ提出された1939年末頃の文書にもS/42Dの名称が登場する。S/42Dの当時の取り扱いマニュアルを見ると、G.41(M)との共通点が非常に多い。S/42Dは7.92×57㎜弾を使用するガス作動式の半自動小銃で、銃身内にガス取り出し孔を設けず、銃口から出た発射ガスを捕らえて作動力を得るガストラップ方式を採用していた。銃口部でガスを受けたピストンの力は銃身下に伸びる長い作動部品を介してボルトキャリアへ伝えられる。閉鎖機構には2個のロッキングラグを備えた回転式ボルトが使われ、後退するボルトキャリアによってボルトヘッドを回転させて閉鎖を解く構造となっていた。さらに特徴的なのが機関部後方に設けられたボルトハンドルである。通常は半自動小銃として作動する一方、自動装填機構に不具合が生じた場合には、このハンドルを利用して射手が閉鎖機構を手動で操作することができた。弾倉は標準状態では5発を収容し、さらに10発容量の装着式弾倉も用意されていた。後のG.41(M)では10発固定式弾倉になるなどの変更が加えられるが、銃口ガストラップ、回転式ボルト、独立したボルトハンドル、手動操作機構というG.41(M)を特徴づける要素はS/42Dで実現されていた。
1940年、新しい半自動小銃の開発を求めるドイツ陸軍兵器局は大手の銃器製造メーカーに対して次のような要求を示した。
・Kar98kに近い形状であること
・7.92×57㎜弾を使用する
・弾倉は固定式
・銃身にガス取り出し孔を設けないこと
・自動装填時、上部の部品が動かない
・自動装填機構が故障してもボルトアクションで手動操作ができる
この要求がきっかけとなり G.41の開発がスタートしたというのが従来説であるが、先に書いた通り、1939年に存在したマウザー社の試作銃 S/42Dがこの要求をほぼ満たしていたという事実がある。「1940年に兵器局が条件を提示し、それを受けてマウザー社が初めてG.41(M)を設計した」とする説明はおそらく正しくない。少なくともマウザー社ではそれ以前から兵器局が自動装填式小銃に求める方向性を踏まえた研究が進められ、その結果としてS/42Dが誕生したと考えられる。またS/42Dの存在が1940年に示された陸軍兵器局の要求内容に影響を与えた可能性もあるが、詳細は不明である。
この要求に対してマウザー社とワルサー社の2社が手を挙げた。マウザー社がS/42Dをさらに発展させたものがG.41(M)、ワルサー社の銃はG.41(W)という名称で呼ばれる。どちらも7.92×57mm弾を使用し、銃身にガス孔を設けないという要求に従って「バン・システム」と呼ばれる銃口ガストラップ方式を採用したものの、その設計思想には大きな違いがあった。マウザー社は兵器局の要求を可能な限り忠実に実現しようとした。G.41(M)には半自動機構が故障しても射手がボルトを手動操作できる複雑な機構が残され、外観や操作感もKar98kを強く意識していた。これに対するワルサー社は一部の要求を無視して構造の単純化を優先した。
G.41(M)は全長1,172mm、銃身長550mm、重量約4.6kg。銃口部で発射ガスを受け、その力を銃身下の作動ロッドへ伝え、回転式ボルトの閉鎖を解いて自動装填を行う。自動装填機構に異常が生じた場合にはボルトハンドルを使用して手動操作することができた。G.41(M)のマニュアルには本銃の利点として「98系小銃と比較した場合、射手が照準線から目標を外すことなく、複数の弾丸を続けて発射できる。」、「各発射の間に時間を要する装填動作を行う必要がない。この装填動作は射手の位置を敵に察知させる原因ともなる。」を挙げている。
1940年末から1941年初頭にかけて陸軍兵器局は部隊試験による評価を行うため、ワルサー社とマウザー社にそれぞれ5,000挺のG.41を生産するよう指示した。ワルサー社では1941年7月2日時点で最初の1,200挺が納入可能な状態となり、1942年1月までに5,000挺すべてを納入した。一方、マウザー社では部品供給や製造上の問題から生産が遅れ、1942年1月27日時点で兵器局が受領したG.41(M)は1,673挺、その後もマウザー社の生産は遅れた。1941年夏から秋に行われた試験でG.41(M)は作動不良や部品破損が多発。1941年8月の陸軍兵器局の報告では作動状況を「ひどい」と表現している。これを受けてマウザー社は改良を進め、1942年1月27日には兵器局も「従来の問題は解消され、G.41(W)と少なくとも同等」と評価した。しかし同年2月、寒冷地の試験で新たな作動不良が発生する。
こうした比較試験と量産実績によって、評価は次第にワルサー側へ傾いていった。1942年2月18日、陸軍兵器局はそれまでの試験結果から、兵器局の要求を一部無視して設計したG.41(W)が部隊での使用適性と生産性の両面でG.41(M)を明らかに上回ると判断。最終的にワルサー社のG.41(W)が選定され、1942年12月に「G.41」として正式採用された。部隊試験用として軍に納入され前線に送られたG.41(M)は不採用となった後も回収されず継続して使用されているが、作動不良が多いため、主に後方部隊や第二線部隊で使用された。
G.41(M)は現存が少なく世界的に希少な銃として高値がついている。日本国内においても無可動銃が2挺のみ存在しているようで、その価格は400~500万円。今回の掲載にあたり、独軍小銃用望遠照準器を研究する Kentomon氏のコレクションからG.41(M)を借用し、各部を分解した状態で掲載することができました。ご協力に心より感謝申し上げます。

第二次世界大戦のドイツ小銃用望遠照準鏡
German Telescopic Rifle Sights of WWII
サイト管理者:Kentomon
■各部のディテール紹介
・G.41(M)全体写真 / ドイツ軍での使用例