パンツァーファウスト100 / Panzerfaust 100


第二次大戦後半に登場した使い捨ての個人携帯可能な対戦車無反動砲「パンツァーファウスト」。ドイツ最大の武器製造メーカーの一つであったHASAG(Hugo und Alfred Schneider AG)のハインリッヒ・ラングワイラーによって開発が進められた。

成形炸薬が内蔵された弾頭は200㎜(初期のパンツァーファウスト30Kは除く)という装甲貫徹力を持ち、全ての連合軍戦車を撃破できる能力に加え徹底的に簡素化された構造により大量生産を可能とした。簡易で強力なパンツァーファウストは射程距離の短さや命中率に問題があったものの市街地戦における対戦車戦闘の切り札として大量に配備された。

1943年8月に並行して開発・生産が進められていた「パンツァーファウスト30 Klein」(有効射程30m、貫徹力140㎜)と「パンツァーファウスト30」(有効射程30m、貫徹力200㎜)が配備されて以降、1944年10月に照準器の改良や安全性が向上したパンツァーファウスト60(有効射程60m、貫徹力200㎜)、1944年11月にパンツァーファウスト100(有効射程100m、貫徹力200㎜)、1945年1月にパンツァーファウスト150(有効射程150m、貫徹力200㎜)と改良が加えられ進化した。誕生から終戦を迎えるまでに僅か2年程度という短期間にも関わらず、パンツァーファウスト30Kが1,554,200挺、パンツァーファウスト30、60、100の3種類合計で6,600,100挺、パンツァーファウスト150が100,000挺、総計8,254,300挺という膨大な生産数を記録。パンツァーファウスト60の場合、製造時間は8時間、コストは25~30ライヒスマルクとなっておりKar98kの半分以下のコストを実現している。

本項ではパンツァーファウスト100の実物を紹介する。



■各部のディテール紹介

・パンツァーファウスト100 / 弾頭

・発射筒

・リアサイト

・発射機構

・マニュアル掲載画像 射撃準備から射撃まで



ホームへもどる