■ZF41 / Zielfernrohr 41



第二次大戦前、ドイツ陸軍で使用していた小銃用の光学照準器は様々な民生品が使われており、正式採用したZF39も民生品をベースとした照準器であった。ZF41は1939年9月、ポーランド侵攻時の戦訓が契機となり、純然たる軍用の光学照準器として開発された。

小銃用の照望照準器「ZF41」は1.5倍という低倍率、小型の本体、アイリリーフ(照準器が適切に覗ける接眼レンズと目の距離)が長いなど、通常の狙撃用望遠照準器とは異なる特徴を持っている。「小さな目標、または目視では確認が難しい標的」への射撃に対して使用するとされており、一般兵士の小銃に装着し、射撃精度の向上と効率的な射撃の実現を目指した。実際、ZF41は通常の射撃において周囲の状況を確認しながら効率的な射撃を行うことができ、リアサイト上部に装着された小型のZF41は銃の通常操作を妨げず、Kar98kに慣れた兵士でも違和感なく使えるという利点を持っていた。

狙撃兵による遠距離の精密射撃にはZF39や民生品の高倍率光学照準器、一般兵士の射撃精度向上にはZF41という区分けを想定していたが、狙撃用照準器の慢性的な不足により、ZF41は開発意図に反して主に狙撃兵に配備されることとなった。その結果、低倍率で視野の狭いZF41は「使いにくい」という評価が定着してしまった。

1941年7月14日に正式採用されたZF41はその多くがKar98kに装着されたほか、Mkb42、MP43での使用も確認できる。またZF41と同型のZF40がGewehr 41と共に使用される予定であったが、この計画はG.41の作動不良問題が影響したためか頓挫した。15社にも及ぶ多数のメーカーにより製造されたZF41はZF4の採用以降も生産が続けられ、1945年までに約10万個が生産された。Kar98kの生産数は約1,400万挺とされているため、10万弱の生産数では装着率が1%にも満たず、極めて低い数値であったことがわかる。

■各部のディテール紹介

ZF41

・ZF41 1型と3型

・レインシールド

・マウント

・Kar98kへの装着

・Kar98k ZF41




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