FG42 (降下猟兵銃42型・ショウエイ製モデルガン)
/ Fallschirmjäger Gewehr 42





1941年5月、地中海にあるクレタ島をめぐる戦いでドイツ空軍の降下猟兵2万人以上が投入され大規模な空挺作戦が実施された。クレタ島はドイツ軍の手に落ちて作戦は成功したものの降下猟兵は大損害を受け、以後、ドイツ軍が大規模な空挺作戦を実施することは無かった。

この失敗を招いた要因の一つが降下猟兵が降下時に装備する貧弱な武装にあった。ドイツ軍のパラシュートは「ひざ」と「ひじ」から前傾姿勢で着地する方式であるため、重量のある銃を持ったままの降下は危険が伴った。降下時には拳銃や短機関銃、ナイフなど最小限の武器だけを携行し、その他の武器や弾薬は専用のコンテナに収納され別に投下、着地地点で回収する方式だった。しかし戦場へ落とされたコンテナを捜索することは困難であり、クレタ島の戦いでは実際のコンテナ落下地点と降下猟兵の距離が離れておりコンテナ回収までの間、貧弱な火器のみで戦うことを強いられ、被害が拡大した。

この失敗がきっかけとなり、降下猟兵が使用するのに適した、小型・軽量・高火力を持った小火器の開発が進められた。開発はリューベック近郊にあるドイツ空軍の兵器開発セクションLC-6(GL/C-E6)が担当。この時、7.92×33㎜弾(クルツ弾)の開発も並行して進んでいたが、遠距離における威力を重視したため空軍は強力な7.92×57㎜弾の採用にこだわり、空挺部隊用新型ライフルの仕様がまとめられた。

・全長は1m以下
・Kar98kより軽い
・7.92×57㎜弾を使う
・着脱可能なマガジン
・マガジン容量は10発ともう一つは30発
・メカニズムを単純化しつつセミオート時はクローズドボルト、フルオート時はオープンボルトから射撃が始まる
・円滑な作動
・倍率2倍の望遠照準器を装備できる
・擲弾発射器を装備できる
・銃剣の装備、できれば折りたたむことができる
・白兵戦ではこん棒代わりに使える
・銃身は固定式(機関銃のような交換式ではない)
・銃身の寿命は2000発以上(フルオート射撃を前提に)
・降下時、衣服や装備に銃が引っ掛からぬよう、左手で持つ折りたたみ式グリップを装備
・伏せ撃ち(プローン)用に二脚を装備
・反動を吸収できるバットストック
・発砲時の反動で銃口が跳ねない安定性
・内部へ入る汚れから保護する
・衝撃や落下で誤作動を起こさない

これは小型、軽量の銃に従来の常識を逸脱した高い要求ばかりを並べた「ムチャぶり」であり、LC-6から共同開発を打診されたドイツ陸軍はこれを断った。そのためLC-6はグストロフ、グロスフス、ハーネル、クリーグホフ、マウザー、ラインメタルの6社へ直接開発を打診。クリーグホフ、マウザー、ラインメタルの3社が興味を示したが、マウザーは弾薬の給弾方式が仕様に適合せず脱落。残る2社で試作銃を開発し試験が実施された結果、ラインメタル社の開発技師 ルイス・スタンゲが設計・開発を担当した銃が選ばれた。

※ラインメタル社が提示した「タイプA」のイラスト。

ラインメタル社が提出した試作銃は「タイプA」と呼ばれ、レシーバー、バットストック、ハンドガードなどはプレス加工品、ルイス機関銃を模した作動方式により作動面での実用性も良好であった。銃をできる限り低く構えることができるようマガジンは左に突き出たデザインとなっており、マガジン装着方式と基本的な作動方式はFG42へ引き継がれている。

タイプAが選ばれたことを受け、改良が施された「タイプB」の試作。金属製ハンドガードはベークライト樹脂製へ、2脚の取り付け位置変更(銃口側から銃身中央位置へ)、リアサイト形状などが変更された。

※初期に生産された「タイプC」。

タイプCは降下しながらの射撃に適する大きな角度の付いたグリップ(初期型FG42で最も特徴的な部分)、複雑に機械加工されたレシーバー、木製グリップ、強烈な反動を抑制するスプリング式バッファー、アルミプレス製のバットストック、2ピース構造の消炎器などを持ち、外観の形状はこの時点でほぼ完成している。生産されたタイプC・50挺のうちの1挺は1942年12月にヘルマン・ゲーリングへ贈呈された。

主に内部部品の耐久性向上が図られた「タイプD」は50挺が製作、1942年2月から4月中旬にかけて徹底的な試験が実施され問題点が確認された。この試験結果をもとに、さらなる改良を施した「タイプE」(FG42 I型)が量産型となった。FG42の生産は銃を開発したラインメタル社の生産キャパに余裕がなかったため、試験で脱落したライバルメーカー、クリーグホフが引き受けた。

FG42の削り出しレシーバーに使用する予定だった強靭なニッケル鋼合金は1943年の中盤以降、ニッケルの輸入が困難となったため使用を断念。代替としてクロムマンガン鋼が使用されたが、この素材さえも十分な供給は得られず、3,000挺の発注に対して2,000挺しか生産できなかった。このため入手が容易で安価な炭素鋼を使って製造できるよう大きな設計変更が行われた。レシーバーは生産性を向上させるプレス製となりシアーなどの削り出し部品にも強度を持たせるため、レシーバー全体が大型化。グリップは保持しやすい垂直に近い形状となり樹脂製のグリップパネルに、2脚固定位置が銃口側へ変更、バットストックも大型の合板製になるなど各部を改良。フルオート射撃時の発射速度を900発/分から750発/分へ落とし、コントロール性も向上させた。この後期型FG42の試作型を「タイプF」、量産型を「タイプG」(FG42 II型)とし、これがFG42の最終生産型となった。タイプFはラインメタル、タイプGはクリーグホフと一部はL.O.デートリッヒでも生産された。

※FG42の最終生産型となる「タイプG」、ZF4が装着されている。

FG42の正確な生産数は不明であるが、タイプA/B:1挺(BはAをベースに改造)、タイプC:50挺、タイプD:50挺、タイプE:2000挺、タイプF:220挺、タイプG:6173挺の合計8,494挺と推定される。(※参照元:Death from Above The German FG42 Paratroop Rifle・COLLECTOR GRADE PUBLICATIONS INC発刊)

FG42は1943年9月に実施されたムッソリーニ救出作戦(グラン・サッソ襲撃)で初陣を飾った(この時は1発も発砲せず)ものの、大規模な空挺作戦はクレタ島以降実施されず、降下猟兵は空軍野戦部隊として歩兵任務が主となった。FG42は当初の開発目的である空挺任務には使用されず、地上部隊の火力支援火器として活用された。生産数の少ないFG42は戦局を大きく変える力は無かったものの、優れた設計と高い信頼性によって戦後の銃器開発にも影響を与えている。


※本項では高額すぎて入手困難な実物に代えてショウエイ製のモデルガンを使いFG42を紹介。この製品は安全面で再現できない部分を除き、実物を極めて忠実に再現している。各部の構造や再現度の高さは各説明項のマニュアル掲載画像と比較していただきたい。モデルガンとはいえFG42のメカニズムを知る上で最良の教材となる。



■各部のディテール紹介

・FG42 全体写真

・レシーバー

・作動機構 ガスピストン / ボルト

・作動機構 トリガー / セレクター

・作動機構 セミオート/フルオートの射撃サイクル

・銃身 / 消炎器 / 銃剣

・2脚 / フロントサイト / リアサイト

・ハンドガード / バッファー / バットストック / マガジン




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