パンツァーシュレック / Panzerschreck



1942年末から1943年の頭にかけて、歩兵の対戦車能力を向上させるため8.8cmの成形炸薬弾頭を持つロケット弾を用いた小型の対戦車砲「8.8cm Raketenwerfer 43 Puppchen」が開発された。「お人形:Puppchen」という愛称で呼ばれたミニチュアのような砲は、非常にシンプルな構造・小型でありながら最大700mの射程があり、装甲貫徹力は200㎜以上。砲の総重量は149kgであったが8分割できる設計により人力運搬も可能であった。ほぼすべての敵戦車を撃破可能な能力を有していたが、大幅に安いコストで生産できるパンツァーファウストやパンツァーシュレックの登場により活躍の機会を失い、少量の生産(約3,000門)に留まった。


※全長287cmと小型の8.8cm Raketenwerfer 43。右が8分割に分解した状態。

この対戦車砲の開発が進行していた1942年11月、ドイツ軍は北アフリカのチェニジア戦線に投入された米軍の新型兵器「M1バズーカ砲」を鹵獲していた。これをドイツ本国へ持ち帰り分析した結果、バズーカ砲を模した対戦車兵器の開発が決定した。ロケット弾にはすでに開発が進んでいた8.8cm Raketenwerfer 43の砲弾を一部改良(ロケットモーターハウジングの延長:490㎜→650㎜へ、雷管発火式から電気発火方式へ)して使用したため口径は8.8㎝となった。初速は105m/s、射程は150m(R PzB Gr 4322の場合)、200㎜以上の装甲貫徹力を持つ強力な対戦車兵器となったが、8.8cm Raketenwerfer 43の存在が無ければより小さい口径のロケット弾が採用されていた可能性もある。ロケット弾への点火は電池発火式で信頼性の低かったバズーカ砲から小型発電機を用いた電気発火式として信頼性の向上を図った。

この新型対戦車兵器「8.8cm Raketen PanzerBuchse 54 ※略称 RPzB 54」は1943年9月頃より生産を開始。43年10月からは部隊での実用試験を行うために配備が進み、43年11月には「パンツァーシュレック」という名称が付けられた他に、長い筒型の形状と発射時に大量の煙を出すことから「ストーブ煙突:Ofenrohr」とも呼ばれている。なおパンツァーシュレックの正式名称について長年定着している従来説には誤りがある。これまでは、最初の量産型が「RPzB 43」、保護シールド付が「RPzB 54」、全長短縮型が「RPzB 54/1」とされていた。しかし実際には「RPzB 43」という名称はドイツ陸軍総司令部で作成したレポートに僅かに記載があるだけで、他の資料には記載が無い。レポート作成の際に何かの名称と混同して間違えた可能性がある。「RPzB 54」という名称は1943年9月30日に発行されたパンツァーシュレックに関する最初の公式マニュアルから使われており、これは最初の量産品が部隊配備されるよりも前である。保護シールドが導入される以前から「RPzB 54」が使われていることは明らかであり、ドイツ軍ではシールドの有無によって名称を変更していない事が分かる。このため

○RPzB 43・・・存在しない、書類の記載ミス
○RPzB 54・・・最初の量産型と保護シールドが付いた改良型の両方を指す
○RPzB 54/1・・・全長短縮型

という分類が正しいので本項ではこれに従って名称を表記する。「RPzB 43」という名称は1944年11月に米陸軍が作成したパンツァーシュレックに関する文章に登場しており、ここから誤った情報が拡散していったと思われる。

パンツァーシュレック運用の基本は射手と弾薬/装填手の2名一組で行い、装薬温度によるロケット弾の性能差を抑えるため「冬用」と「夏用」の2種類の弾薬が導入され、使用する季節に応じて弾薬を使い分けた。また素人でもそれなりに扱えるパンツァーファウストとは異なり、訓練を受けた兵士が扱うことが前提となる。

RPzB 54はロケット弾の燃焼ガスが射手を直撃する問題(特に低温の場合は燃焼速度が低下しより顕著になる)を抱えており、射手は防護マスクや手袋など身体を保護する装備を身に着ける必要があった。このため射手を発射ガスから保護するためのシールドが追加された後期型が登場し1944年2月頃から44年8月にかけて生産された。既に部隊配備されていた初期型のパンツァーシュレックも改修キットにより多くが保護シールド付きとなった。

1944年12月に採用された「RPzB 54/1」は1650㎜という全長を1350㎜に短縮し重量も軽減したパンツァーシュレックの最終型。装填の手順を単純化し装填時間を大幅に短縮、射程を伸ばした新型弾薬(R PzB Gr4992)が導入されるなど、性能向上が図られた。一方、安価で簡易な使い捨て対戦車無反動砲として登場したパンツァーファウストは「射程が短い」という欠点があり、初速が速く射程距離も長いパンツァーシュレックは存在意義があった。しかし、改良によってパンツァーファウストの射程が延長されると、生産コスト(パンツァーシュレック:70ライヒスマルク、パンツァーファウスト:30ライヒスマルク)が高く運用が難しいパンツァーシュレックの存在意義は薄れていく。1945年1月、個人携帯対戦車兵器をパンツァーファウストに一本化するという指令により、パンツァーシュレックの生産は終了を迎えた。本体の生産数は1943年:50,835、44年:238,316、45年:25,744 の合計314,895挺、ロケット弾は221万発が製造された。



■各部のディテール紹介

・パンツァーシュレック

・発射筒

・トリガー / 発電機

・保護シールド

・フロントサイト / リアサイト / 照準調整・弾道

・マニュアル掲載画像 / 射撃手順

・パンツァーシュレック マニュアル「D1864/6」



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