■ZF41 望遠照準器 / Zielfernrohr 41



第二次大戦前、ドイツ陸軍で使用していた小銃用の光学照準器は様々な民生品が使われており、正式採用したZF39も民生品光学照準器をベースとした照準システムであった。ZF41は1939年9月、ポーランド侵攻時の戦訓が契機となり、純然たる軍用の光学照準器として開発された、というのがこれまでの定説であるが、これを覆す信憑性の高い資料がある。

元ドイツ陸軍兵器局長エミール・リープは1958年に刊行された著書「Aus der Rüstung des Dritten Reiches: Das Heereswaffenamt 1938–1945. Ein authentischer Bericht des letzten Chefs des Heereswaffenamtes(第三帝国の軍備より - 陸軍兵器局1938~1945年 陸軍兵器局最後の長官による真正な報告」において、ドイツ陸軍の歩兵用小銃に関する記述の中で望遠照準器についての興味深い証言を残している。



1938年頃、小銃用望遠照準器の開発要求が提示された。陸軍兵器局は倍率4倍の照準器を提案したが、関係機関は1.5倍の照準器を要求した。その結果、1.5倍型が開発され、陸軍へ導入されることになったという。リープはこの経緯を単なる技術上の選択としては説明していない。産業界側が国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)の上級機関に働きかけ、陸軍兵器局に特定の照準器受け入れを迫った事例、と述べている。またこの1.5倍照準器を「技術的には非常に優秀だが、軍事的な使用には適さない」と厳しい評価をしている。

ただし、リープは要求を出した機関、関係した光学機器メーカー、圧力を加えた党機関の名称を明らかにしていない。また、照準器についても「ZF41」という型式名を使わず、装備対象の銃がKar98kだったのか、開発中の自動式小銃だったのかも明記していない。それでも1938年頃という時期と1.5倍という倍率を考えれば、リープが述べている照準器はZF41へ直接つながる型式を指している可能性が高い。この証言が重要なのはZF41の開発が1939年9月のポーランド戦より前に始まっていたことを示している点である。

ポーランド戦で得られたドイツ軍の戦訓では歩兵分隊内の小銃手1名に望遠照準器を装備させ、小目標や遠距離目標を正確に射撃できるようにすることが要望された。しかしリープの記述に従えば、この要望を受けて初めてZF41の開発が始まったわけではない。

1938年頃にはすでに1.5倍照準器の構想と開発が進められていた。ポーランド戦の戦訓はその照準器に「歩兵分隊内の選抜射手へ支給する」という運用上の役割を与え、Kar98kへの装備と量産を後押しした可能性が考えられる。

【※】1938年当時のリープは陸軍兵器局長ではなく、フランクフルトに駐屯する第15歩兵師団の師団長であった。リープはそれ以前の1933年から1936年まで陸軍兵器局で兵器・弾薬・装備の調達を担当しており、1940年4月から同局長に就任している。この点は留意する必要がある。


小銃用の照望照準器「ZF41」は1.5倍という低倍率、小型の本体、アイリリーフ(照準器が適切に覗ける接眼レンズと目の距離)が長いなど、通常の狙撃用望遠照準器とは異なる特徴を持っている。

1941年4月26日に陸軍総司令部から発行されたマニュアル「Kar98k-ZF41に関する要領書」には次のように書かれている。

「ZF41付きKar98kの特徴および任務

ZF41を装備したKar98kは特に選抜された優秀な射手のための武器である。
本銃は特に小さく、通常であれば攻撃することが困難な目標に対する精密な点目標射撃を可能とする。また照準眼鏡を使用することにより、肉眼では識別しにくい目標に対しても射撃できる。
最も有効な射撃距離は400mまでの範囲である。
曇天、薄暮および暗闇においても照準眼鏡装備小銃を持つ射手の使用には十分な効果が期待できる。」

このように一般兵士の小銃に装着し、射撃精度の向上と効率的な射撃の実現を目指した。実際、ZF41は通常の射撃において周囲の状況を確認しながら効率的な射撃を行うことができ、リアサイト上部に装着された小型のZF41は銃の通常操作を妨げず、Kar98kに慣れた兵士でも違和感なく使えるという利点を持っていた。

狙撃兵による遠距離の精密射撃には民生品ベースの高倍率光学照準器、一般兵士の射撃精度向上にはZF41という区分けを想定していたが、狙撃用照準器の慢性的な不足により、ZF41は開発意図に反して主に狙撃兵に配備されることとなった。その結果、低倍率で視野の狭いZF41は「使いにくい」という評価が定着してしまった。

1941年7月14日に正式採用されたZF41はその多くがKar98kに装着されたほか、Mkb42、MP43での使用も確認できる。またZF41と同型のZF40がGewehr 41と共に使用される予定であったが、この計画はG.41の作動不良問題が影響したためか頓挫した。15社にも及ぶ多数のメーカーにより製造されたZF41はZF4の採用以降も生産が続けられ、その生産数は多くの資料で10万個前後とされている。しかしながらドイツ軍小銃用照準器の研究を行う Kentomon 氏の現存するZF41の製造番号を追った詳細なデータベースの調査では264,500個という数字が示されていることから、ZF41の生産数は少なくとも20万個以上であった可能性が非常に高い。Kar98kの生産数は約1,400万挺とされているため、20万強の生産数では装着率が2%にも満たず、極めて低い数値であったことがわかる。

本項の一部掲載品やZF41のリープ記述、ZF40に関する情報はWebサイト「第二次世界大戦のドイツ小銃用望遠照準鏡」を運営する Kentomon 氏から借用した貴重な実物や提供情報が含まれています。当ホームページへのご協力に感謝申し上げます。




第二次世界大戦のドイツ小銃用望遠照準鏡
German Telescopic Rifle Sights of WWII

サイト管理者:Kentomon


■各部のディテール紹介

ZF41

・ZF41 1型 / 2型 / 3型

・ZF41 刻印バリエーション

・レインシールド

・マウント

・ZF41 2型 収納ケース

・ZF41 3型 収納ケース

・Kar98kへの装着

・Kar98k ZF41

・照準調整工具




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