G.43・K.43 半自動小銃 / Gewehr 43・Karabiner 43




「MG34で成功したガス・トラップ式の採用」「銃身内にガス抜き穴を設けない」というドイツ陸軍兵器局の方針に従い、バン・システムという特殊な作動方式を導入し1942年12月に正式採用されたワルサー社のG.41。ドイツ陸軍初の半自動小銃として期待されたが、作動不良が多発し戦場での信頼性が大きく低下した。この問題点はG.41が正式採用される1年ほど前からワルサー社でも認識されており、G.41の後継銃について検討が始まっていた。その結果、戦局の悪化により小銃を一から開発する時間的猶予が無い事、G.41の製造でワルサー社が投資した機械、冶具、金型の存在も大きく影響し、G.41をベースとして改良する方針が示された。また陸軍兵器局もG.41の後継となる新型小銃の開発をワルサー社へ指示し早急な開発が求められた。

一方、半自動小銃の配備が進むソビエト軍が採用していたトカレフSVT40は銃身内部に設けた穴から発射ガスの一部をピストンに取り込み、ボルトを作動させる方式を採用。弾薬の問題などにより信頼性がやや低いとされているSVT40であるが、ガス・システムは高い信頼性を発揮。1941年6月の独ソ戦以降、大量に鹵獲されたSVT40の優れたガス・システムにワルサー社の設計陣も着目することになる。

1942年初頭からスタートしたG.41の改良は、同年秋になってようやく最初の試作銃が完成。銃身内部に設けた穴からガスを取り込む方式に改良した以外はG.41をそのまま使ったため1次試作には信頼性に問題があった。2次試作ではG.41をベースにSVT40のガス作動機構をほぼそのままコピー、MG13用の25連マガジンを採用し着脱式とした。この2次試作は良好な作動結果を残し、SVT40のガス・システムをそのまま採用する方針が固まった。その後製作された3次試作は主に狙撃時の扱いやすさを考慮してMG13の長いマガジンを装弾数10発の短いマガジンに変更、各部も洗練された形状となりG.43のベースはこれで完成した。G.43最初の試作銃となった2挺は1943年1月20日にドイツ陸軍兵器局へ納入し各種試験を実施。2月末には良好な試験結果となったことから陸軍兵器局はワルサー社へG.41からG.43への生産切り替えを命令。1943年4月30日、「Gewehr 43」として正式採用された。

G.43は1943年の秋ころからワルサー社で量産を開始、同年末までに約7,500挺のG.43がワルサー社で生産された。この初期生産型は各部品の表面仕上げに機械加工が施された美しい外観を持っており、これ以降に生産されたG.43とは仕上げの点で品質に大きな差がある。この初期型は1943年12月28日、第23および第44擲弾兵連隊にわずか10挺ずつという少数ではあるが配備され実戦デビューを果たした。

1944年からは精密鍛造技術を最大限利用し機械加工を大幅に削減。製造時間の短縮と材料の節約を実現しつつ、増産を目指した。当初はワルサー社(製造メーカーコードac)のみで生産されていたG.43は1944年以降、グストロフ社(製造メーカーコードbcd)、さらにはBLM(製造メーカーコードduv、後にqve)が加わり3社で製造。1944年4月25日には「Gewehr 43」から「karabiner 43」に正式名称の変更が行われ、銃の刻印も順次、「G.43」から「K.43」へ変更。様々な小改良や簡略化を実施しながら終戦までに約46万2千挺が生産されている。

当初、G.43は狙撃銃としての使用を想定し新開発のZF4(倍率4倍のスコープ)と共に生産しエリート部隊への配備に制限するなど限定的な使い方を想定していたとされる。しかしながら時間の経過とともにG.43への期待は増加。Kar98kをG.43で置き換える案も浮上したが、実現の可能性は極めて低いものであった。G.43はスコープマウントの取り付けレール、微調整可能なトリガーメカニズム、着剣装置の廃止など、狙撃銃としての運用を前提に開発されたことは間違いないが、実際にはZF4スコープの増産は間に合わず、9割以上のG.43/K.43はスコープ無しの小銃として配備されている。



■各部のディテール紹介

・レシーバー その1

・レシーバー その2

・レシーバー その3

・銃身 / ガスシステム / サイト

・木製ストック その1

・木製ストック その2

・マガジン

・刻印



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